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◆ハナマルコラム No.054
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「そのランドセル」 父兄代表挨拶文    2008/3/16

「はい」
ご指名にあずかりました河野秀樹です。
涙で挨拶にならないと思いまして、一編の「詩」をしたためました。
教頭先生、最後まで読めなかった時には、途中で朗読を代わって下さい。
では、はじめます。

「そのランドセル」
そのランドセルは破けんばかりに膨らんでいる。
フタを開けてみると、なるほど
6年間2180枚の写真でギッシリ!
1枚目:そのランドセル、デヴューの日、そう入学式、
持ち主よりも大きく大きく存在感が有った。
2枚目:待ちに待った最初の夏休み
3枚目:夏休みの宿題が終わらずにベソをかいている顔
4枚目:ワクワクと不安の中での初めての大運動会。
5枚目、6枚目・・
メガネごしにいつも優しく見守ってくれた、○○るみこ先生
怒るとこわい茶髪の、○△ひろき先生
マラソン大好きのシャキシャキ、△○ひろ先生
先生と言うより時に、お姉さんのような存在だった、△△じゅん先生
いろんなことをたくさん話してくれた、□△じゅんな先生
運動会では自慢のノドを披露してくれた、そう□□けんじ先生

春には学校の名前に負けじと咲き誇る小学校の桜
夏でもちょっと不気味な体育館の裏
赤トンボが我が物顔に飛び交う第二グランド
今はないけど、お昼前にはシチューのいい匂いがしてきた給食室

同級生というより大家族の兄弟姉妹のような友達の顔、かお、カオ

しだいに空っぽになってゆくそのランドセルに、ひと粒ふた粒と涙が落ちる
その涙は思い出の涙、嬉し涙、悲し涙、
そして、たくさんの感謝の涙。
晴れの朝も雨の朝も「行ってらっしゃい」のお母さんの笑顔
運動会のテントを組み立ててくれた、お父さんの汗

いよいよ 最後の1枚
それは今日、卒業式。いつの間にか小さく小さくなった、そのランドセル。

空っぽになったそのランドセルの奥から何か聞こえる。
耳をすますと「六年間、大事に、大切に、使ってくれてありがとう」

その声を聞いて、今、フタをとじる。

教頭先生、何とか最後まで読めました。
校長先生をはじめ、先生方、本当に6年間有り難うございました。
おじいちゃん、おばあちゃん、地域の方々、
日なたになり、陰になり、支えて下さって心より感謝申し上げます。
ご父兄の方々、6年間ご苦労様でした。
いざ、今日になってみると、この日が来てほしかったのか、来てほしくなかったのか、
複雑な気持ちです。

そして今日主人公のあなたがた、御卒業おめでとう。
中学校にはいると、新しい友達、新しい勉強、新しい先生方に出会うでしょう。
楽しいこと、悲しいこと、つらいこと、いろいろ有ると思います。
壁にぶつかった時には、どうか、そのランドセルを開けて、
中をのぞいてみて下さい。
そのランドセルには、○小六年間の勉強、先生方からいただいたたくさんの教えが、
いっぱい詰まっています。
きっと、ヒントが見つかるはずです。
本当におめでとうございます。
以上をもって挨拶とさせて頂きます。



   
 
 
   

◆ハナマルコラム No.053
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「七味唐辛子な子供たち」

 先日、小学校の授業参観に行ってきました。その学年はミニ発表会。縄跳び、百マス
計算、漢字の書き取り、歌、楽器演奏、詩の暗唱・・など、その子供の得意な出し物
の披露でした。
見終わったあと感動とともにひとつの感想を持ちました。「このクラスは七味唐辛子
である!マヨネーズでもケチャップでもない!!」すなわち、子供一人一人の個性
(才能)がしっかりと発揮されていて、クラス全体は調和している。皆が均一のマヨネ
ーズやケチャップではない。
この小学校は全学年ひとクラスのこじんまりとした学校です。小規模校ゆえの利点を
十二分に生かしているように思えます。この参観をしたあとに、ふとある本を思い出
しました。その本は漫画家:山田玲司氏の「非属の才能」。
この本の表紙を開けると
「空気が読めない奴」と言われたことのあるあなた
まわりから浮いているあなた
「こんな世の中おかしい」と感じているあなた
本当は行列なんかに並びたくないと思っているあなた
のけ者になったことのあるあなた
おめでとうございます。
あなたには “非属の才能” があります。
この本を読み進めると、溜飲が下がる文章が多くでてきます。なかでも「つまりこれ
は、自分の子供の背中に「私は凡人」というタグを貼りつけているのと同じことだ」
(61ページより)には、膝を打ちました。
常々家族で「子供の芽を摘んでしまうのは、他ならぬその親自身だ」と話しています。
この小学校の子供たちには七味唐辛子のまま、大きくなってほしいと思います。子供
たちが一味唐辛子にならないよう、ましてマヨネーズやケチャップにならぬように、
親として自戒したいと思います。
おまけ:七味唐辛子=唐辛子に胡麻(ごま)、陳皮(ちんぴ)、けし、菜種、麻の実、
山椒の七つ。ただし、紫蘇や青海苔がはいることもあるそうです。

「つばさ学級茶会」
また、別の学年からの依頼でお茶のお点前を披露することになりました。その日、子
供たちは近くの神宮で、まず雅楽鑑賞、雅楽に使う楽器に触れる体験学習、お昼ご飯、
その後お茶でした。設備の関係上、神宮内の和室を使って盆略点前でした。盆略点前
の手順です(参考:定本 茶の湯裏千家 主婦の友社刊)

「盆略点前=十三世円能斎鉄中創案」
茶道口に坐り、盆を建付けに置き、襖を開け一礼。
盆を両手で持ち瓶掛の前に運び出し、建水を左手に持って、
盆の前に坐る。
盆を持って客付きに向きを変え、建水を進めて居前をただす。
袱紗をさばき、棗をこの字に清め、中央左寄りに置く。
帛紗をさばきなおし、茶杓を清め、右手前(四時の位置)に置く。
その手で、茶筅をとり棗と置き合わせる。
茶巾をとり、三時の位置に置く。
左手の帛紗を右手で取り、鉄瓶の蓋を閉め、左手で鉄瓶のツルを持つ。
湯を入れて、鉄瓶を戻し、帛紗を九時の位置に置く。
茶筅をとり、茶筅通しをする。
建水にお湯を捨て、茶巾で拭いて、茶碗を置く。茶巾は元の位置へ。
茶杓を取り、客にお菓子をすすめる。
左手で棗を取り、茶杓を握り込んで、蓋を取る。蓋は五時の位置に置く。
お茶を二杓ほどすくい、茶碗に入れ、縁で軽く打つ。
棗、茶杓を元に位置に置く。
右手で帛紗を取り、左手で鉄瓶のツルを持つ。
帛紗で蓋を押さえ、湯を入れる。
鉄瓶、帛紗を元の位置に戻す。
茶筅をとり、お茶を点てる。お茶を出す。
茶碗が戻ると右手で取り、左手で置く。湯を入れ建水に捨てる。
客「どうぞ、おしまいください」
軽く受け、右手で茶碗を置き「お仕舞いにいたします」
茶碗に湯を入れ茶筅通しをして、湯を捨て、茶巾を取り、茶碗の中に入れる。
右手で茶碗を置き、茶筅を茶碗に入れる。
右手で茶杓を取り、左手で建水を引く。
茶杓を握りしめたまま、帛紗を取り清め、茶碗の縁に伏せる。
その手で、棗を元の位置に戻し、帛紗を建水の上で払う。
帛紗で鉄瓶の蓋を切り、帛紗を腰につける。
盆を持って、正面に回り、建水を持って帰る。
続いて盆を持って帰る。
建て付けにおいて、一礼して襖を閉める。

 子供たちがお茶を飲んだあと、利休百首を簡単に話して終わりとしました。「利休百
首」とは、千利休が和歌の形を借りて、茶道(さどう)の精神、手前作法(てまえさ
ほう)の心得(こころえ)などを、初心の人にもわかりやすく、記憶しやすいよう、
三十一文字にまとめて、百首集めたものです。

「その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ」
そのみちにはいらんとおもうこころこそ わがみながらのししょうなりけれ

「ならひつつ見てこそ習へ習はずに よしあしいふは愚なりけり」
ならいつつみてこそならえならわずに よしあしいうはおろかなりけり

「はぢをすて人に物とひ習うべし 是ぞ上手の基なりける」
はぢをすてひとにものといならうべし これぞじょうずのもとなりける





   
 
 
   

◆ハナマルコラム No.052
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「体験するという価値」

 先日、お茶の稽古での話。今月末、小学校六年生に日本文化に触れるというイベント
の中でお茶の手前をすることになりました。その日は、まず鵜戸神宮(うどじんぐう)
で雅楽を鑑賞して昼食をとったあとに、小生がお茶を出すというスケジュールです。
このことをお茶の先生に話したところ、次のような話をされました。
  『お茶は、無の状態、つまり何もないところ(道具の置いてない畳)に道具をだして、
手前して、道具を片付けるため最後はまた何もない。お茶を頂くというのは、モノを
得るのではなく、体験である』というような話でした。言いかえれば「形としては残
らない体験に価値がある」とも言えましょうか。これを聞いて、すぐさま頭の中でこ
の言葉と自分の仕事が、スパークしました。
  「ムシ歯予防」言い換えれば「生えたままの状態を保つこと」は、お金をいくらいく
ら出して、もの(形ある物、商品)を買うことではないのです。六歳頃から生えてく
る大人の歯(永久歯)を、一生、生えて来た状態に保つこと(ムシ歯にならないとい
う体験)に価値があるということです。
  陶器の歯が一本十万円とか、インプラント一本何十万とか言う話ではないのです。現
状は名前のみの永久歯を、真に生えて来た時からその人が死ぬまで(その人にとって
の永久)、生えて来た状態に保つことが歯科医師の大きな大きな仕事の一つです。い
や、これは歯科医師の使命であると思います。




   
 
 
   

◆ハナマルコラム No.051
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「ご静聴とご清聴」

先月(07師走)に、担当する小学校に校医として、来年度の取り組みの希望を伝える べく、教頭先生とお話しする機会がありました。パワーポイントを使ってのプレゼン テーションが終わった時のことです。
「私も研修の中で指摘されたことがあるのですが・・。静聴と清聴は意味が全く異な ります」と、教頭先生が言われました。はじめはピンと来ずに、キョトンとしていま した。実は次のようなことです。まずは、この二つの言葉を広引いてみますと、
静聴=しずかにきくこと。「御静聴願います」
清聴=他人が自分の話などを聴いてくれることを敬っていう語。「御清聴を感謝しま す」
もう、おわかりでしょう。プレゼンテーションを始める時に使う言葉が「静聴」であ り、終わった時に使う言葉は「清聴」となる訳です。合点した時には、恥ずかしいや ら、感心するやら・・。プレゼンの終わりのコマが「ご静聴ありがとうございました」 となっていたのです。
拙メルマガ59号で紹介した「耕不尽=耕せども尽きず」を、真っ先に思い出しました。 パワーポイントを使ってのプレゼンを始めて、五年以上の歳月が流れていますが、ダ イレクトにご指摘いただいたのは、初めてでした。心より教頭先生に感謝したします。 耕せども尽きず=何事においても、あてはまることなんだと、痛感しました。どうぞ、 このメルマガを読んでくださっている皆様、どんなことでも、些細なことでも、ご指 摘、意見して下さいませ。

メルマガ59号はこちら
http://www.connote.co.jp/hanamaru/059.htm
(クリックすると大きな画像が見れます)




   
 
 
   

◆ハナマルコラム No.050
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「美しい笑顔に!美味しいの笑顔を!」

 去る九月に、笑い療法士二級候補生として講習を受けました。その際、グループ内に
内科医、精神科医、看護士の方がおられ、いろいろとディスカッションするうちに、
いかに私自身がぬるま湯に浸かっているかということを思い知らされました。あるホ
スピスに勤務する内科医の方は「癌で余命半年との告知を受けた三十代の男性患者さ
んが言うんです。『無理に笑わさんと、はよう良うなる薬持って来てくれ!』」。ま
たある看護士さんからは、脊椎損傷で意思疎通のできない患者さんとのこと、認知症
の女性との関わり方の話など。片田舎で歯科診療所を営む私にとっては、ただただ
「皆さん、大変だな」と、感心するしかありませんでした。二級候補生の一人として
「こんなんでいいんやろか」と少々劣等感さえ、いいえ恥ずかしさすら抱きました。講
習後考えました「では、今の状況での笑い療法士としての活動とは、なんぞや」。
拙診療所の日々の臨床で、余命いくばくも無い方、認知症の方などが来院されること
は、ほぼ皆無です。ほとんどの来院者の方は、自分の足で来られ、帰られます。多少、
耳が遠い方はいらっしゃいますが、意思の疎通は十分に可能です。このように口腔以
外はかなり健康である人と日々お会いしています。
話は飛びますが、歯科医師法には『歯科医師は、歯科医療及び保健指導を掌ることに
よって、公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するもの
とする。』と、その使命が明記してあります。これ私なりに解釈すると「いかに、天
然歯に対する価値を高めてもらうか」とも言えるような気がします。失って初めてわ
かる健康の有り難さ。風邪ならば治れば元どおり。二日酔いなら三日目には素面に。
しかし、ムシ歯だけは、決して元には戻りません。治療しても天然歯に比べると見劣
りします。天然歯にまさる歯はありません。天然歯の存在価値はなんと言っても「飲
んで 食べて 笑おう!」だと思います。
では、片田舎で開業する歯科医師において笑い療法士として、どのような活動ができ
るのか?端的にいうと「美しい笑顔に!美味しいの笑顔を!」です。詳しく考えてみ
ます。「美しい笑顔」は、赤ちゃんからお年寄りまで、ムシ歯や歯槽膿漏予防処置を
適切に的確に行うことによって、得られる「健康な歯」「きれいな歯」で「美しい笑
顔」です。「美味しいの笑顔」は、たとえ総入れ歯でもそれなりに食事を楽しむこと
ができての「美味しいの笑顔」、ご自分の歯でももちろん「美味しいの笑顔」です。

 地方都市の開業医にできる笑い療法士の仕事は、まずは目の前の患者さん・来院者の
かたを「美しい笑顔に、美味しいの笑顔を!」にすることではないでしょうか。今年
三月別府で話しました、一粒万倍をもじっての「一笑万喜」。まさにこの通りだと思
います。九月の講習を受けて(理解が遅いと言われそうですが・笑)河野秀樹の笑い
療法士活動が、さらに明瞭に見えて来ました。

笑い療法士についてはこちら
癒しの環境研究会 http://www.jshe.gr.jp/
ハナ通信60号   http://www.connote.co.jp/hana/back60.htm



   
 
 
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