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◆オススメミッケ! (No.008 2005/3/15)
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和のなかの白

 「白梅のあと紅梅の深空あり」   飯田龍太

 この時季、年末年始には、日常のなかに「和」が日頃よりも多く顔を出す。お
歳暮につける熨斗や水引。大掃除で張り替える障子紙。門松、注連縄などのお正月飾
り。年が明けては、お年玉を入れる熨斗袋やぽち袋。おせち用の白木の箸など、いわ
ば、期間限定モノが数多く登場する。それらを見てみると、その多くのモノが白いモ
ノである。

 まず、白についていくつかの本を開いてみよう。

 「最も明るい色。あらゆる波長の可視光線を物体を見て感じられる色をいう。ただ
し、完全な白色の物体は現実には存在しない。」(『色の手帖』より)
 
 「太陽の光線をあらゆる波長にわたって一様に反射することによって見える色。雪
のような色。何も書いたり加工したりしてないこと。潔白。」(『広辞苑』より)
 
 「まじりけがない。しろくなる。しらむ。あかるくなる。しろくする。あきらかに
する。あかるい。いさぎよい。」(『角川漢和中辞典』より)
 
 古来日本では、正月をあらゆるものの始まりとする習わしがあった。数え年はその
典型であろう。その始まりにあたって、白を多用したことには、如何なる意味がある
のであろうか。おそらく、日本の伝統文化の書を繙かなくとも、白が清めの意を持つ
ことは、想像に難くない。

 お茶の点前の中には、幾度となく清めの所作がある。もちろん、準備の段階で、茶
碗をはじめ、使う道具は洗い清めてある。そうしていながら、客の目の前でさらに清
める。習いたての頃は、なかなかこの真意が分からず、ただ煩雑に感ずるだけであっ
た。しかし「洗心」の茶軸を見たときに、点前の中の清めの所作は、道具を清めるの
ではなく、手前している本人の心や思いを清めていることを体感した。

 白は、まさしく、清めの色と言えよう。ゆえに、白くするということは、和におい
ては、清めることであり、浄化することであるといえるのではないであろか。

 「点前の清めの小さな所作によって、心に清涼が訪れるという経験は、概念の奇蹟
としてそのようなプロセスの根幹を占めていたに違いない。その瞬間、自分の懊悩も
また概念上の懊悩にすぎないことを、ほんの短い刹那にせよ、覚知できるのである。」
(『心理学者の茶道発見』より)
 
 「侘びの思想は、現実を受け入れる姿勢である。その侘びの思想を体現した茶道は、
私たちの懊悩の多くが概念の誤写であることを無理なく実感させてくれるシステムで
ある。現実受容をはかり、心の癒しをはかるツールとして、今日まで機能して来たの
である。私自身、この茶道の癒しの機能にずいぶん救われている。この癒しを少しで
も多くの人に味わっていただきたいと願っている。」(同上より)
 
 いささか難解な文ではあるが、清めの概念の一助になればと思い、紹介した。白く
する、すなわち清めることによって、人は癒されるのである。自分自身の癒しを求め
て、神に手を合わせるのではないだろうか。癒すために清めるのである。ならば、白
くするということは、もちろん視覚的に歯は白くなる。しかし、その白い歯を求める
心は、自分自身への癒しではなかろうか。

 さて、冒頭の句のように、白と相性が良いのは「紅」である。九十九歳の賀の祝い
を白寿という。「百」から「一」をとれば「白」になることからと聞く。茶名にこの
「白」がつくものがある。薄茶に使う茶名に多いような気がする。聞けば、その名前
には最上級にはひとつ足りないと言う意味をもつらしい。このことを口元にあてはめ
れば、そのひとつ足りないことを補うものは、クチビルではなかろうか。白い歯と紅
いクチビルで、まさしく紅白である。

 「お祝いの金封や品物に飾られた赤と白の水引や赤と白の紙を重ねて折ったのしを
はじめとして、慶びの贈答と言えば紅白一対の色合わせで決まる。

 赤は昇る太陽や燃える炎、熱く流れる血の色である。生命や躍動、生産をイメージ
する。白は日本人にとって、神秘や霊的なものを意味する色であったという。神様へ
のお供えの器がすべて白木であることが、古来、色を塗らない白木に神性を見たこと
を物語っている。白は無色を意味したものか。そうならば生命を表す赤と、神秘を表
わす白との組み合わせが紅白となる。紅白の意味は生命の神秘すなわち宇宙である。
ともあれ、この配色には、潔さとひたすらな明るさがある。」(『引出物』より)
 
 顔において、クチビルが動くことを考慮すると、歯とクチビルを同等の一対のもの
としてとらえるよりも、「歯はクチビルの脇役」と考える方が、面白いかもしれない。
白い歯は、脇役として紅いクチビルを引き立たせる。

 「コート・ドールの皿はすべて真っ白です。絵も文字も入っていません。真っ白な
お皿がいいと最初から決めていました。絵皿を使うつもりはありませんでし
た。」(『メニューは僕の誇りです』より)

 この文にあるように、西洋料理においても、真っ白な皿が多用される。古典的喫茶
店におけるコーヒーカップもそうである。中国おける白磁に至っては、1500年をこす
歴史がある。いずれも、その器に盛られる料理を引き立たせるためであろう。

 また中国には古代から陰陽五行説なる考え方があり、その考え方を踏まえると、青
春・朱夏・白秋・玄冬で白は秋になるそうである。白磁青磁の色は、雨後晴天の青空
と白い雲の色を模したと言われる。この白秋もまさしく、秋の空気の清涼感・清澄感
を象徴するのではなかろうか。

 「白」について、このように考えてみると、洋の東西を問わず、「白」とは清らか
でありながら、謙虚さをもつ。加えて、清めるという動詞的な意味合いを持つことに
よって、癒しの色でもある。和においては、白くすること、すなわち清めることであ
り、清めるということは、自分自身を癒すことであると結論づけることができよう。
言うまでもなく、癒しは医療の原点である。

参考文献/
新版 色の手帖     永田泰弘監修 小学館
広辞苑第五版      岩波書店
漢和中辞典       貝塚茂樹 他編 角川書店
心理学者の茶道発見   岡本浩一 淡交社
引出物         小山織 マガジンハウス
メニューは僕の誇りです 斉須政雄 新潮社

(日本歯科漂白研究会 第1巻第1号会誌投稿 平成15年2月1日発行)

 
 
 
   
◆オススメミッケ! (No.007 2005/2/28)
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「美白は文化になった」

 「中国は巨大な市場で、上海を中心にヘアカラー文化への興味が高まっている」
2004年6月8日付けの朝日新聞の経済欄に、このような文章を見つけました。この記事
は「ヘアカラー市場縮小」という見出しで、これから、成長市場を海外に求めること
についての業界最大手社長のコメントです。今や、女性のみならず男性までも髪の毛
を染め、「茶髪」という言葉は、もはや死語とも言われます。そんな今、ふとヘアカ
ラー文化って、なんだろうと思いました。

 文化の定義は、色々あると思いますが、広辞苑によると「衣食住をはじめ技術・学
問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に
用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、
文明と区別する」とあります。友人の大学講師Mr.Michael Narronの論によりますと、
まず科学や産業の発達(文明)によって新しいモノやサービスが生まれます。それら
が人々の生活の中に浸透していきます(習慣化)。その習慣が、新しい文化を育て、
その文化によってさらに新しいモノやサービスがつくられていきます。

 文化という視点で、何冊かの本を拾い読みしてみました。「美女の教科書1」には
「日本女性はなぜ、ここまでキレイにこだわるのか?」というタイトルで次のように
書いてあります。「女はみんなキレイになりたい。でもこの日本ほどに、女が強く激
しく"キレイになりたい"と思っている国はない。(中略)誇っていいのか、恥じるべ
きなのか。少なくとも今は"誇れること"にはなっていない。だからといって、"恥"と
決めつけてしまうのはもう少し待ってほしい。なぜなら日本の女は、今すさまじい勢
いで"進化"している最中だからだ。日本人が"和服"を脱いでから、まだやっと百年。
西洋的な化粧をするようになってからも百年、世界に通用するようになってからも百
年、世界に通用する美貌を作らないとマズイと気づいてからも、やはりまだ百年。い
やそれを"戦後"と考えるなら、まだ六十年かそこらだ」(287頁)
 
 この意見には、なるほどと納得させられる力があります。また、このような見方も
ありました。「顔を読む」には「美とは物自体がもつ質ではない。ただそれを見つめ
るひとの心の中に存在する。人の心はそれぞれに違う美しさを感じとるのである。-
デヴィッド・ヒューム  (中略)美しさにはたしかに、文化が違っても見る人が違っ
てもなんらかの関連性があるのである。そして同時に、普遍的な要素がある」(174
頁)
 
 何かしら、しだいに解らなくなってきました。しかし、ホテルマンの書いた本「サー
ビス哲学」に「日本には「セクシー」という文化がない!」という見出しを見つけて
溜飲を下げました。「私の言う「セクシー」には二つの意味がある。一つは一般的に
言われる「色っぽい」という意味。そしてもう一つは「魅力的な(転じてワクワクす
る)」という意味だ。(中略)とりわけ色っぽさについては、なぜか「悪しきもの」
というマイナーイメージで捉えられているようで、例えば日本の女性はドレスを身に
まとうときも、欧米の女性のように胸元まであらわになったものをセクシーに着るこ
とはほとんどないし、男性にしても女性に一輪の薔薇をプレゼントして気分や雰囲気
を高めるようなことはまずしないだろう。また、そのようなことをした女性や男性を
世間は少し変わった人、とさえ捉えるのではないだろうか。」(83頁)
 
 「ホテルならではのセクシーなサービス」という見出しでは「例えば、ベッドのシー
ツ一つとっても、素材やデザインの選択に妥協は許されない。計算に計算を重ねるべ
きであるが、一番いいのは、裸でスリップインしたときを想定して選ぶ方法である。
そうすれば肌にも心にも、客室の空気にも優しいシーツはどれかがわかるはずだ」セ
クシーな文化はないといいながらも、セクシーなサービスは必要であると、説いてい
ます。裏を返せば、セクシーな文化が日本において育ってほしい、すでにセクシーな
文化が芽吹いているとも読めるのではないでしょうか。

 このように考えてくると、やはり、日本人にとって「美白は文化になった」と言え
るでしょう。しかし、まだ成熟した文化とは言い難いようです。髪を染める、肌を白
くする、そして歯を白くする。美白は、今現在、成熟中の文化です。進化している文
化とも言えるでしょう。成熟した文化となるべく、一翼を担うのは、我々歯科医療従
事者です。文化の創造に歯科医療が貢献できるということは、なんと素晴らしいこと
ではないでしょうか。もちろん、今までも「健康美」という言葉は耳にしてきました。
相対する言葉をあえて探すなら「官能美」でしょうか。健康美が、文字通り身体的な
美であるならば、官能美は精神的な美であると言えましょう。広辞苑にも「精神的生
活にかかわるものが文化」とあります。まさしく「美白は文化となった!」

参考文献:
広辞苑第五版  新村 出編    岩波書店 1999
美人の教科書1 齋藤 薫     文藝春秋 2002
顔を読む    レズリー・A・ゼブロウィッツ 大修館書店 1999
サービス哲学  窪山哲雄 オーエス出版社   2003
(日本歯科漂白研究会 第3巻第1号会誌投稿 平成17年2月1日発行) 


   
 
 
   
◆オススメミッケ! (No.006 2005/2/14)
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 この時期、宮崎はやはりプロ野球のキャンプです。このメルマガを読んでいらっしゃ
る方で、宮崎まで足を延ばすことができる人は、少ないとは思いますが・・。

 まず、場所の紹介から。宮崎県の北部、日向市(ひゅうがし)で楽天。宮崎市西部
の生目(いきめ)で、ソフトバンクホークス。ちょっと南に降りて、青島で巨人。宮
崎市の南隣、日南市で広島カープ。さらに南隣、南郷町(なんごうちょう)で西部ラ
イオンズ。地元の人間にしてみれば、じっくり二泊三日ぐらいで回って欲しいところ
です。1日で回るとしたら2球団が目一杯でしょう。ソフトバンクと巨人か、カープ
とライオンズ。いずれも、宮崎駅・南宮崎駅・宮崎空港から、バスやJRでのアクセ
ス可です。案内のパンフレットや地図が置いてあります。

 お土産は、青島なら「ういろう」。その昔、青島駅に汽車がとまると、ういろう売
りのお姉さん(おばさん)が、停車の1〜2分の間に車内まで売りに来ていました。
日南では「間瀬田の厚焼き」「おび天」。美味しい焼酎もあるのですが、出回ってい
ません。もし、駅や空港で焼酎を買われるならば「黒木本店」(高鍋:たかなべ)の
ものならオススメです。宮崎空港で唯一のオススメは、実はクッキー。西都市(さい
とし)にあるレデンプトリスチン修道院で作っているクッキーです。空港二階のお菓
子の土産物売り場で「修道院のクッキー」と言えば、わかると思います。数種類あり
ますが、クルミが一番でしょう。空港内で食事するくらいなら、二階の土産物売り場
の「おび天」で「玉子」を単品で買って待合いで頬張るほうが、旅心を刺激します。

 ハナマルメール読者限定!もし、宮崎に来られる方は、メール下さい。朝ご飯から
晩ご飯、ホテル、土産に至るまで、カルノが企画いたします。

オススメ:三丁目喫茶室二月号
http://www.connote.jp/essay/3rd_sc/02.htm


   
 
 
   
◆オススメミッケ! (No.003 2005/1/10)
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 お正月になると耳にする歌に「もういくつねると・・」と「としのはじめの・・」
などがありますね。

 「もういくつねると」は、滝廉太郎の作曲で、その曲名は「お正月」。「としのは
じめの」のは「一月一日」です。今回のオススメミッケ!は、手前味噌ですが、拙連
載「三丁目喫茶室」です。お正月の蘊蓄話のネタにでも、どうぞ。と、ここまで書い
てふと思いました。「もういくつねると」は文字通りとれば、お正月のカウントダウ
ンの歌であり、本来は年末に歌う歌なのではないのか?これぞまさしく、要らぬ蘊蓄!


 三丁目喫茶室 一月号「お正月」
 http://www.connote.jp/essay/3rd_sc/01.htm


   
 
 
 


◆オススメミッケ! (No.001 2004/12/15)
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 このサイト(増殖する俳句歳時記)から、カルノの一日は始まります。「お歳暮」
の本当の意味に、なるほどと納得!本来の意味に近いのは、なんと忘年会であった!


『物少し状ながながと歳暮かな』  島田雅山

                「俳句歳時記・冬」(1955年角川文庫)所載


 まずは、本来の「歳暮」の定義を紹介されています。
 (『  』内は「増殖する俳句歳時記」からの引用文です)

 『この句が載っていた歳時記より「歳暮」の定義を。「年中行事の一。歳末に際し
既往の好誼を相互に感謝し合ふため贈物を交換したり、無異息災を祝ふために年忘れ
と称し親戚・知己・同僚間に酒宴を設けることをいふのだが、後に転じて物を贈るこ
とのみを歳暮といふやうになつた。正しくは歳暮の礼である。酒・煙草・砂糖・新巻
その他デパートの商品券などが用ゐられる」』

 なるほど、これを読むとテレビコマーシャルなどで見られる、ハムやお酒を風呂敷
に包み、玄関口に立つシーンはきわめてオーソドックスなスタイルであると言えます。

 『したがって忘年会などのほうが、歳暮の本義に適っている。ところで物を贈るに
しても、昔は掲句のように必ず「(書)状」を添えるのが礼儀であった。あくまでも、
歳暮は「交流」を感謝するしるしだからである』

 ここまで読んで、ふと思いました。本来は「親戚・知己・同僚間」でとあります。
職場の忘年会は例外として、気の合う仲間同士の忘年会が、昔ながらのスタイルであ
り、「歳暮」の定義にかなっていると言えるのならば、皆さん、どうです、来年から
は義理で上司に贈るのをやめて、そのお金で仲間内の忘年会をパーッとやるのは?

 本文では、「状」や「時代背景」へと話は続きます。本文へジャンプ!

 出典:増殖する俳句歳時記2004年11月19日
 トップページ http://www02.so-net.ne.jp/~fmmitaka
 2004年11月  http://www.longtail.co.jp/%7Efmmitaka/200411.html
 11月19日へ。

   
 
 
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