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「患者さんから食事がおいしく食べられると言っていただいて、初めて仕事が終わったなと思いますね。」河野氏は快活に語る。患者さんの笑顔、これこそが歯科技工士及び歯科医療に携わる全ての人々の願いである。しかし同時に、日々の忙しさに埋もれ、つい忘れてしまいがちなことでもあるのではないだろうか。我々が常に医療専門職としての目的を実感しつつ仕事をしていくには何が必要なのか。 「もっと患者さんにテクニシャンの存在を知らせる必要があるんですね。」 河野氏のヴィジョンは歯科技工士にやりがいを与え、国民歯科医療の質を向上させる方向性を持つ。 今回は、宮崎日南の桜歯科院長・河野秀樹氏に、歯科技工に関わる諸問題、今後の歯科界の展望等についてお話を伺った。 氏の溢れんばかりのバイタリティーが、我々に“元気”を与えてくれたことを付け加えさせていただく。 |
----私どもは、松風発行の雑誌『デンタルエコー』で河野さんを拝見いたしまして、その中ですばらしい先生だなと思ったのが、補綴物を製作した技工士に対しての心遣いで、補綴物は歯科技工士という人が作って歯科医師の先生が診療室で口に調整しながら入れていくということを、患者さんに知ってもらいたいというお気持ちがあったんじゃないかと思うんです。具体的には、患者さんに技工士宛の葉書を渡してらっしゃるそうですが、その動機と目的についてまずお話を伺えたらと思います。
河野 この桜歯科というのがもう開業して8年になるんですけれども、開業前に2年間鹿児島市の平山歯科というところで修業していました。そこでのポジションというのが、院長先生がいて、代診の先輩の先生、それで僕だったんです。それで、その先輩の先生が義歯があまり好きじゃなくて、義歯が全部僕に回ってきたんです。最初はもう悪戦苦闘していたんですけれども、そのうちに義歯三昧で。そこは義歯が多いところで、毎日5床セットしていたんです。1ヵ月100床、1年間で1,OOO床と、もうそれはすごい義歯の量でした。それで義歯についてわからないことがある時に、常勤のテクニシャンの方にいろいろアドバイスしていただきました。特にフルデンチャーの場合、作ってみるのが一番わかると言われて、うちのじいさんの上下義歯を4床作ったんです。その時に初めてデンチャーとはこういうものだと目から鱗が落ちるようにわかったんです。それから、調整も楽になりました。確かに学生時代に勉強はしましたけれども、もう彼方に忘れているわけです。これは作るのが一番勉強になると。若いテクニシャンもいらっしゃったんですけれども「彼はこういうことを多分知らないよ」と言ったら、「いや彼は聞こうとしないから。しかし河野先生、ちゃんと聞いてくれれば教えます」ということで僕は技工士さんに事ある度に相談に行って教えてもらいました。 ----確かに歯科技工士にとってはいい励みになると思います。 河野 今、患者さんは僕の後ろに技工士さんがいるというのを絶対御存じです。現にある技工士さんは近所の人から「あんたは腕がいいって聞いたけど、どうしたらあんたから作ってもらえるの」と聞かれた。「うちは桜歯科に仕事を出してますから、あそこへ行ってください」。そういうコミュニケーションができれば、もっともっとテクニシャンもやりがいがあるし、ひいては割の合う仕事というか、やっぱりやった分だけはもらえるようになっていくんではないかと思うんです。ですから、もっと患者さんに対して、テクニシャンの存在を知らせる必要があるんです。 ----そうなんですか。残念な気もしますが、そういう側面もあるのかもしれません。 河野 そこで現在は、技工士の方々にもアイデアを出してもらい、名刺にプリクラのようなシールを貼って渡すという計画もしているんです、 ----葉書を受け取った技工士の方の反応はどうでしたか。 河野 テクニシャンの先生から電話が来てですね「来たよ」と。当然先生は患者さんとは会ったこともないんですが、それがもう丁寧に書いてあった。もう非常に喜ばれて「これは僕の宝にするから」とおっしゃっていました。
----先生が義歯に興味を抱かれた動機は他にもあったんでしょうか。 河野 まず。兄が医者になっていたという影響あると思うんですけれども、僕は最初から歯学部だったんですよ。医学部というのは、もう全く頭になくて。卒業するころは、義歯を作るなんてもってのほかと、俺はもう口腔外科の世界で生きていくんだと。 |
実際口腔外科に行って、それなりにデンティストとしての限界、医者の免許がないゆえの限界というのを目のあたりにした時に、もう一度自分なりに考え直そうと思って基礎系に半年いたんです。 その後、鹿児島の平山歯科に行くことになりました。先程お話ししましたように、もう義歯の患者さんが次から次へ来られるわけです。それで組んずほぐれつやっていくうちに、当時うちのじいさんが87、88才でして、どうしても患者さんとダブってくるわけですね。お年寄りというのは、本当にありがたいという時には、“ありがたい”という表情をされるんですよ。そこに勤めている間に、2回拝まれたことがあるんです。「先生、本当に入れ歯がよくできてる。ああ、これは棺桶に持っていく」って。その時に、ああ、ひょっとしたら僕に合っているかもしれない。で、そう思えば思うほど、指名がかかるようになったんですね。院長が今でも冗談で僕に言うんですけれども、「河野先生は指名がかかりよった」と。 平山歯科にはエピソードがいろいろあるんですけれども、1人の歯科医師で120人も患者さんが来ていたとか、待合室に入りきれず、建物の周りをぐるっと巻いていたとか。というのも田んぼの刈り入れが終わって農閑期になると、必ず来る患者さんが大勢いらっしゃると、近くの旅館に泊まりがけで離島から来られるんですよ。霧島に宿を取って朝一番のバスで来ると、お昼前鴨池に着く。それで、義歯をしてまた帰っていく。そういう方がいらっしゃるようなところでやっていく中で指名がかかってきて、そのころから、まあ目覚めたというよりも、もうのめり込んでいったんです。 僕は3人兄弟の真ん中なんですけれども、結局僕しか動ける人間がいなくて日南に帰ることになって、総義歯→高齢者→和風→桜という連想で、掘りごたつにしても、桜歯科というネーミングにしても、お年寄り主体。義歯主体にやっていきたいと考えたんです。 |
----歯科において補綴といいますと、やはり義歯だと思うんですね。しかし、義歯に対して「噛めない、笑えない、話せない」という批判もあるわけです。それはどこに原因があるとお考えでしょうか。
河野 実は2年前から、卑弥呼じゃないですけれど『魏志倭人伝』に引っかけて、義歯は人が伝えるという意味を込めて、「義歯は人伝セミナー」というのを始めたんです。その中で、僕が伝えたいことのひとつが「噛めない、笑えない、話せない」義歯ができるのは、やっぱり保険のシステムに原因があるのではないかということです。 |
----今お話しに出ました歯科における保険制度は、どういった方向に進むべきだとお考えでしょうか。
河野 考え方は2つあるんではないかと思うんです。1つは補綴物を保険から外すということ。それから、逆に予防の方の点数を上げること。いずれにしても、補綴に対する考え方が、おそらく近いうちに大きく変わると思うんです。では、保険から外れた場合に、喜ぶ歯科医師や、喜ぶテクニシャンが何割いるかですよね。恐らく歯科医はそれ程残らないでしょう。だから、当然テクニシャンも同じかそれ以下しか残らないわけですよね。そのために、やはり歯科医師もテクニシャンも勉強すべきだという思いは、ここ数年特に強くなってます。 ----これからの時代歯科技工士にも変わっていかなければならない部分があるのでしょうか。 河野 桜歯科の税理士さんが「先生のところ、技工料が高いよ」っておっしゃるんですが、僕は「いや、うちはきちんと払っているんだ。他のところが安いだけのことなんだ」と答えています。「インレーにしてもクラウンにしても、いい材料で型をとって、いい石膏を流して、いい技術で作れば、セットする時間は短いんです。だから、僕はこの技工料で時間を買っているんですよ」と。 |
----一つの問題として、大体歯科というのは健康な人が治治療に来るわけですが、健康でない人の歯科治療というものに対してなにかお考えはありませんでしょうか。
河野 1つは施設に入っている健康でない人、特老やそういう方の場合、管理された中で生活されてますから。例えば歯科技工士と歯科衛生士、歯科医師がチームになって。訪問する可能性は考えられる。現在は問題があるかもしれませんが、流れ的にはそういうことが可能になってくると思うんです。そういう施設の方の義歯で、例えば破折なんていうのはつけられる場合もあるわけですから。 |
----ドイツでは、技工物に対して、日本でいう製造物責任法のようなものがありますが、製作物、補綴物に関しその責任というものについて、先生のお考えはどうですか。
河野 この前来られた患者さんは、あるところで作ってもらったけれども噛めない。それで、うちに来られたという人がいらっしゃったんですね。そういったデンチャーの責任は、誰にあるのかまず言えることは。今のシステムであればテクニシャンが見ることのできない部分がある。口腔内や患者さんの噛み方。しゃべり方、表情、そういうものは見ることができないわけです。義歯という人工臓器を作るためには、それなりの情報が要るわけですよね。ですからテクニシャンの方にまで責任を求めるのであれば、実際に患者さんに会うシステムを作るべきでしょうね。 ----歯科技工士に作ったものに対し責任を持ってもらうんだということの裏づけとして、なにか方法はあるでしょうか。 河野 大臣免許というのは国が認めた免許、その人の力量ですから、もっと直接患者さんにアピールすべきだと思いますね。例えば、患者さんがラボを訪ねる。そのことによって、患者さんの声を直接聞いて、ラボも今以上にきれいになるし、患者さんに対しても、情報提供ができるわけじゃないですか。 ----患者さんに、ご自分の口の中に入ったものは、ここで作っているんですよということで、見学していただいても構わないと思いますね。そうなれば、おそらく技工室の環境もがらっと変わってくるでしょう。 河野 また、テクニシャンの方もですね、初対面の人と堂々と話せるようなことも必要ですよ。大阪のババマンさんにしても、堂々としゃべるんですね。お客さんと。やはり患者さんと直接渡り合えるものを持っていらっしゃるわけですから、それがちょっとしたテクニックの訓練でですね、話せるようになるわけですから。 ----その責任感が自信につながり、延いては義歯の価値を高めることにもなると。 河野 例えばこれが、有名な陶芸家の作ったお皿であれば何万円もしますよね。ところが、その上に盛ってある食べ物を口に入れた時に味わう入れ歯は、何百円とか何千円ではおかしいじゃないですか。以前ある方に「失礼ですけれども、今あなたの使っていらっしゃる入れ歯に対して、いくらの値段をつけられますか」と聞いたら、自分の収人から考えると300万だと。この義歯に300万の評価をこの人はしているわけですよ。この方の払われたお金は多分100万前後なんですね。そこに200万の差がある。それは100万払ったから200万の差が出るということじゃないと思うんですね。 ----本日いろいろとお話しを伺って、やはり我々は我々の歯科技工職というものに、もう少し自信と誇りを持たなければと再認識しました。患者さんに喜んでもらうためのものを作るんだと真剣に考えていかなければ、河野さんがおっしゃったことも、何一つできないような気がします。 河野 ババマンさんにしても、やはり作る喜びというのをしっかりつかんだ人は、いいものを作るし、それなりの収入をやっぱり得ていますよね。 ----本日は、大変役に立つお話をいただきまして、どうもありがとうございました。 |