1999.09.01
ヒーリング:癒し
先日朝、海岸線を走っていたらちょうど日の出でした。九月の声を聞いてさすがに風のおとにぞおどろかれぬるで、空気は澄んで清々しく、空は高く、清澄な日の出でした。その時感じたのがヒーリングです。歯科診療所にとって一番必要なことは患者さんへのヒーリングなのではないのか、と思いました(今頃気づいてどうするのかと言われそうですが)。痛みを取ることはもちろん癒しです、他にも違和感のない前歯を入れる、噛んでも痛くない入れ歯を作る等々。以前は癒しとリラックスを同じようなことと考えていました。しかしよく考えてみると、健康人にはリラックスであることも、病気を持つ人、患者さんにとってはリラックスと呼ぶには不十分であったり、場合によっては皮肉や嫌みになりかねないような気がしてきたのです。昨年福岡はキャナルシティで劇団四季の「キャッツ」を観ました。「キャッツ」に出てくる元娼婦のネコがせつせつと歌う『メモリー』、なぜかヒーリングを思うときこの歌声が聞こえてきます。実際には長時間口を開け続けてもらったり、麻酔の注射や歯を削る際の痛みなど患者さんに対してヒーリングどころか結構なキズツケを強いることもしばしばです。また最近、中村喜春さんの本「喜春流 味なことば」を読んでいて『刃の傷は癒すべきも言葉の疵は癒すべからず』と言う言葉を見つけました。刃で受けた傷は治るが、一度口に出した言葉による疵は元には戻らない。ただでさえヒーリングを求めてやってこられる患者さんに、不用意な発言をしてしまうと患者さんはもう因幡の白兎です。これを機にもう一度「癒し」について考え直してみます。