思い出しニッキ

2003.06.30

「入れ歯だって洗って欲しい」
 入れ歯洗いに関して、ふたつのエピソードを御披露します。
 数年前のことです。人吉の「うぐいす湯」だったでしょうか。旅の途中で、ふらりと入りました。そこの温泉は初めてで、お昼過ぎという時間のためか、お客さんはさほど多くなく、まさしくゆったり、湯ったり。ふと見ると、湯船に突き出たお湯用の大きめの蛇口、そこには赤い文字で「入れ歯洗い禁止」と大きく書いたプラスティックの板がぶら下げてありました。お湯につかりながら、考えました。なぜ、ここにこのような板が下げてあるのか?おそらく、ここで、洗う人がいたのでしょう。ここで洗った人は、なぜここで洗ったのか?洗い場で、身体を洗った。やれやれと、湯船に身を沈める、ふと、まだ入れ歯を洗っていなかったことに気付いた。おや、目の前に蛇口がある。はずして洗おう。
 私事ですが、さらに数年前のこと。祖父が入院したため、朝刊を届けるついでに、祖父の義歯(上下総入れ歯)を洗っていました。その病棟には、洗面所の横に食器の洗い場があり、すみには残飯用の三角コーナーも置いてあります。洗面所の奥はトイレです。義歯を手に、しばし考えました。義歯を洗うのは、洗面所なのか、食器洗い場なのか。結局、食器洗い場の方が少々清潔に見えたので、食器洗い場で洗いました。何日目かの朝のこと、いつものように義歯を洗っていますと、付き添いらしき御婦人が寄ってこられて、「入れ歯はむこうで洗って!」と、ジロリとにらみながら仰有います。「エッそうなの」と思いながらも、そのにらみに圧倒されて、洗面所に移動しました。食器と入れ歯、どちらが奇麗であるべきなのでしょうか?入れ歯を洗う場所は、どちらなのでしょうか?
 確かに、入れ歯は、その使用者以外の人にとっては、食器以上に汚く思えるのでしょう。入れ歯に従事する者として、その気持ちは理解できます。しかしもう一度考えてみてください。あなたが、外食先で、汚れた皿やお椀が目の前にあれば、すぐ片づけて欲しいと、言うでしょう。テーブルやカウンターに、何か付いているだけで、不愉快になるものです。ましてや、自分の食事を入れた器が汚れていようものなら、怒り出しますよね。
 では、入れ歯を洗うにはどうすればよいのか。歯科医師は日常的に、義歯を扱いますので、義歯を素手で触るとか、洗うことには抵抗はありません。しかし、歯科医療従事者でない方にとって、直に触ることはかなり抵抗があると思います。義歯用の洗いブラシなども市販されていますが、慣れないと使いづらいような気がします。歯科医師としての懸念は、洗うことへの抵抗感が、義歯の洗浄にとってブレーキになることです。色々なブラシもありますが、実際使ってみると
食器洗い用のスボンジや軍手の方が、素人の方にも、簡単に汚れを落とすことができます。軍手であれば、安価ですから、その入れ歯の方専用に用意することもできるでしょう。取り扱う時に、手が滑って、入れ歯を落とすことも少ないと思います。ただ、ぬれた軍手に手を入れるのはイヤですし、洗うときに、手がぬれるのも決して心地良いものではありません。入れ歯は毎日、可能ならば毎食後でも洗って欲しいものです。入れ歯を洗う人にとって、イヤなこと心地悪いことはひとつでも少ない方が良いに決まっています。そこで提案「二重手袋入れ歯洗い法」。歯科医師や歯科衛生士がよく手にはめている、手術用の薄いピタッとしたゴム手があります。まずこのゴム手をはめてから、軍手をする。ゴム手をしていますから、軍手が濡れていてもさほど不快感はないでしょう。一度に数人の方の義歯を洗うような場合には、軍手の付け替えだけで、ゴム手はそのまま。
 入れ歯がきれいであれば、食事がさらに美味しくなることは、誰だって理解できます。食事のみならず、おしゃべりや笑顔もよくなるはずです。どうか入れ歯をいつもきれいにしてあげてください。やはり「入れ歯だって洗って欲しい!」