1999.06.25
白い御飯の白い花
散歩通勤すると色々なものを目にします。お米の花もそのひとつ。ここ数日で咲きました。日南では超早場米なる旬を壊すような米を作っているため後一カ月もすると稲刈りです。昔は二期作でお盆前になると片方で稲刈り、隣の田圃で田植えという風景をよく見ましたが、今ではほとんど見かけません。さて、お米の花を見た人は少ないと思います。なぜなら花はとても小さくよくよく見ないと分かりません。畦におりて目を凝らさないと分かりません。稲穂は御存じでしょう、あの稲穂がうす緑色でまっすぐ伸びて、そのひとつひとつの籾から芥子粒くらいの花がのぞいています。米粒から伸びている芥子粒ですからほんとによく見ないと分かりません。本で調べたところこの白い花は雄しべだそうで、稲の花は雄しべと雌しべを持つ両性花なれど萼と花びらがない不完全花だそうです。後一カ月で新米が食卓にのぼりますがいまいち季節感に欠け、美味しさも今一つのような気がします。気候が違うので地方地方で旬はまちまちですし、台風を避ける為とも聞きますが、西瓜と新米が一緒に並んでも・・。


1999.06.12
珈琲のお点前
ふとお稽古の帰りに思いました。カルノはかなり珈琲が好きです(ハナ通信No.5)。豆の違いによる味の差もさることながら、同じ豆であってもいれ方によってかなり変わるのが珈琲です。その点、いれ方にあまり左右されないのがお茶(抹茶)のような気がします。珈琲店美美のマスターは学生時代に北大路魯山人の研究をされて、お茶は千利休が完璧に完成させた故ある意味で面白くない、その点珈琲はまだまだ未完成なので面白い、それ故珈琲を選んだとおっしゃっていました。珈琲は豆の抽出液ですが、お茶(濃茶・薄茶)は粉そのものを飲みます。この違いが様々な珈琲の味わい方が有る所以かも知れません。もちろんお茶も点て方によって味は変わります。点前をしているとこの動作はお茶碗を温めるため、この動作はお湯の温度を適切にするためなど、必ず如何に美味しく点てるかを考えての動作のような気がします。イメージ的には形式張って不必要なことを沢山しているように取られがちですが、実際に習ってみるとなかなかどうして理にかなっている事が多いように思えます。珈琲ならば、カップを温めたり、豆を蒸らしたり、必ず必要な動作があります。そのうち万利休なる人物が現れて「珈琲のお点前」なるものを完成させるかも知れません。もっとも、型にとらわれない飲み物が珈琲であるとは思いますが。お花は美央柳と半夏生。お茶は金鱗で小山園。お菓子は竿物、錦江で明石屋でした。


1999.06.02
連想不可な栗の花
散歩通勤をしているといろいろなものに出会います。栗の花もそのひとつ。この季節、栗の花の匂いはどこからともなく漂ってきます。しかしその姿たるや 、どう考えても、どう連想しても、どう見てもこれがあのイガイガの栗になるとは思えません。 オオバコのような細長いものが葉っぱの間から垂れ下がり、無数の小さな花が付いています。どう見てもこれがあのマロンになるとは思えません。マロングラッセやモンブラン、栗きんとんに栗ようかん、この花からは連想不可能です。栗は見かけによらぬもの。