1999.11.28
ボジョレーヌード
みなさん、今年のボジョレーはいかがでしたか。まあまあでしょうか。ところで去る金曜日、大阪で『ボジョレーヌード』なるパーティがありました。たまたま馬場万の秋山さん(知る人ぞ知る鞄屋さん、日本のヴィトンともいわれる)と会う予定でしたのでカルノも参加してきました。やはり大阪人はちゃいますな、浪花のおっさんはただのおっさんやない。レストラン貸し切りでボジョレーヌーボー飲み放題、おつまみ食べ放題。それがただの飲み放題で終わらないところが凄い。パンフレットには次のような文が載ってました。

「・・・前略・・
  暗中模索の中とりあえず、てがかりを求めて
  『なんかしてみよっ』という、
  たわいもない企てをいたしました。
  題して『ボジョレーヌード』。
  1999年にさよならをする初冬の一夜を
  ボジョレーヌーボを飲みながら、
  芸術の原点
  (絵にすれば何故か芸術になる・・・)
  裸の女性のデッサンに挑戦。
  これは豊穣と豊満をめでる会です。
  ・・・後略・・」

というわけで、ヌーボでお腹を満たしたあと、二枚の色紙と一本の鉛筆、20分、5分休憩、20分の時間を頂き、豊満(ヌード)をめでました。ヌーボの酔いのためか高校以来のデッサンにもかかわらず鉛筆は進みました。えっみたいって?どうぞ見たい人は声かけて下さい。

『ボジョレーヌード』はこちらから見れます


1999.11.08
立冬とささくれ
日南の今朝は立冬とはほど遠い暖かい朝でした。先日お茶のお稽古に行きました。霜月になるとお茶の世界では冬支度が始まります。風炉から炉に変わります。亥の日を選んで炉開きをし、おはぎを食べます。ある時、京都は一保堂で「なぜ亥の日ですか?」と聞いたら『猪は火を踏んで消すらしく火の用心の意味でしょうか。また猪は多産ですので繁栄の意味も含まれるのではないでしょうか』とのこと。さてお稽古になって袱紗を捌き始めたとき、指のささくれが袱紗にひっかかります。仕事がら爪はまめにつむのですが、ささくれまでは気がまわりませんでした。この日の軸は『白珪尚可磨』。冬が立てばささくれも立つので、きちんと指先を磨いて点前を洗練し、白珪尚可磨となるのでしょうか。いえいえ、実は私たちの先生がお家元より正教授を頂かれたことを受けてのこの軸でした。その時のお茶碗が六代左入「隠逸の花」だったそうです。隠逸の花とは菊の異称です。お茶を稽古していると季節の移り変わりをより身近にきちんと感じます、また本当に活きている日本文化の勉強にもなります。茶室に身を置くとつくづく日本に生まれて良かったなあと思います。お茶は一生稽古と申しますので何歳から始めても遅くはありません。チャンスが有れば是非お茶をどうぞ。


1999.11.01
ソラ見たことか
カルノはよく鹿児島市に行きます。鹿児島市内に最近(ここ数年内に)できた公共施設のひとつに中央公園とその地下駐車場があります。以前の中央公園は夾竹桃の生け垣に囲まれたテニスコートでした。桜島の火山灰のためかいつも黒っぽいコートが生け垣越しに見えるその公園は暗いイメージでした。場所はあの有名な西郷さんの銅像の斜め前です。その暗い公園ががらりと変わりました。地上部分は一面、鮮やかなグリーンの芝生、噴水や小川もある明るい公園に変わりました。そしてその地下部分が駐車場になりました。天文館にも近いためこの駐車場を結構利用します。地下にもぐり無人ゲートでチケットを取ります。ゲートの説明板に「空の表示の有るところに・・」。初めて利用したときのこと、さすが新しい公園の地下駐車場、天窓があって空が見えるんだと感心しながら車を進めていきました。数秒たって大笑い、ソラではなくてカラの表示のあるところに・・なんですね。今でもこの駐車場を利用する度に空を探しながら笑っています。日本語は面白い言葉です。仕事中も一人おなかの中で笑うことがあります。下顎の型を取るときに「シタをウエに」言葉だけ聞くと何これ?「舌を上にあげて下さい」という意味です。話しは飛びますが、鹿児島大根占出身の歌之助の落語というか話も聞く度に笑います。ちなみに大根占は「だいこんうらない」ではなくて「おおねじめ」と読みます。彼の話にでてきます。『・・あんまり星が奇麗なもんですから空ばっかり見上げているとすっころびます。うしろん(後ろにいる)人が「ソラ見たことか」』。 おあとが宜しいようで。