1999.08.24
茶禅一味是如何
この言葉の意味はまだ充分に理解できませんが、体験的には何となくわかります。茶禅一致という言葉もありますように、お茶と禅は結構似ています。一言でいうと合理的。そんな、どこが合理的?と思われるかも知れませんが、実際にお茶も禅も体験してみるときわめて理にかなっています。先日のお稽古は茶箱の花でした。今でいうならピクニック用お点前です。茶道具はそれぞれの仕覆に入りそれらが全部茶箱(ピクニック用バスケット)にはいっています。点前を途中で間違えると必ずその先で詰まります。先に進めなくなるのです。お茶碗を置こうとしてもそのスペースがない。お湯を捨てようとしても建水が定位置にないとお湯が捨てられない、等々。禅の場合は考え方、禅の哲学など、非常に合理的です。カルノが参禅するお寺の和尚さんは、霊など見たことはないし、仏の声など聞こえたことはない、とおっしゃいます。坐禅にしてもあれほど人間工学を踏まえた姿勢はないだろうし、有るものは有る、無いものは無いと禅ははっきりしています。これから秋の茶会、月見の茶会など催されると思います。チャンスがあれば是非足を運んで見て下さい。茶軸は『露 堂々』、花はヒメムクゲ、花入れは円能斎好み杵篭でした。


1999.08.08
ラジオの使い方
カルノはテレビが嫌いです。テレビには目と耳と手と足が占領されるから嫌いです。そのかわりラジオは大好きです。はっきり言って中毒です。起きている間はほとんど半径3メートルの中でラジオが鳴っています。まず朝目が覚めると枕元でスイッチオン。起き上がると同時に首に下げて活動開始、コーヒーいれて、トイレはいって、コンタクトつけて、その間中ラジオはしゃべり続けています。このような生活が日常になるといろいろと面白い事象に出会います。まず炊飯器に近づくと妨害電波をキャッチ。もちろんiMacをオンにすると雑音混入。ふつうの家の中でこんなにも妨害電波が出ているのかと驚きます。出勤時も首に下がっています。散歩通勤、自転車通勤、バス通勤、車通勤。いつも一緒です。ラジオの音量は同じでも周りの雑音や騒音によって聞こえる量が変わります。バス通りではラジオの音量をアップしないと聞こえませんし、そのまま路地にはいると大きすぎます。ヒトの耳って意外と高性能な集音マイクです。正確に言うと選音マイク、捨音マイクです。自分に必要としない音はあまり認識しない、結構自動制御で必要な音と不必要な音をしっかり取捨選択しているようです。地獄耳、勝手耳はその際たるものでしょうか。つまりあまりやかましいと感じないバス通りの音であっても、実際にはかなり大きな騒音であり、はたまたバス通りとさほど変わらない様に感ずる路地であっても本当は静かで小さな雑音程度の音しか存在しない。ヒトの耳って不必要な音には無関心なのかも知れません。また日没後帰宅途中にラジオをつけていると道行く人に不必要な不安感を与えずにすみます。暗闇の中からヌッと突然現れるよりはラジオの音が徐々に大きくなって現れる方が少しはましでしょう。加えてラジオ漬けの生活になると日本語にうるさくなります。テレビにはド素人の方々が結構出てくるみたいですが、ラジオにはあまり出てきません、話せないと番組になりませんから。このため汚い日本語、意味不明な日本語がラジオから流れることは皆無ではないにしろ希です。加えてラジオには音声のみで映像がありませんからイメージがバルーンのように膨らみます。いくつかのCMはテレビとラジオが同じものでその音声だけをラジオで流していることが有ります。ラジオCMを先に耳にしていて、後からたまたまそのCMをテレビで見るとこんな映像がついていたのかとつい見入ってしまいます。耳からの情報の方が頭にはしっかりインプットされるようです、その証拠に耳寄りな情報というでしょう。百聞は一見にしかずとは昔のこと。テレビ、雑誌、写真、インターネット等々と画像や映像が氾濫している今は百見は一聞にしかず。ところでそのラジオは何かって、ソニーの災害時用ポータブルラジオ、これは優れものです、首にかけるとよくわかります。一度聞いてみなはれ。最後に話し飛びますがバーラジオも好きです。


1999.08.02
プロの仕事
日南油津の朝は様々な音で始まります。鴬、コジュケイ、波の音、最近ではセミも朝からせわしく鳴いています。加えて牛乳屋さん、新聞屋さん等々。鳥や虫の声は耳障りではないのですが、耳障りなのが新聞配達のスクーターのエンジン音。油の切れたようなエンジン音、バリバリバリ、ああいう音に起こされると不快な目覚めになります。ところが牛乳屋さんは違います。バイクはカブです。運転の仕方も違います。朝の散歩で偶然見かけたのですが極力エンジンをふかさない運転なのです。エンジンをふかしたらすぐゆるめしばらくは惰性で走り、またすこしふかしては惰性で走る。この運転のため本当に小さな音しかしないのです。カルノは007とゴルゴ13を師匠としています。2人の仕事はプロの仕事です。やはりこの牛乳屋さんもプロですね。プロの仕事には必ず違いがある、見えないところに違いがある。