1999.06.20
日本人の条件
今回もお茶について。先日「真の行の台子」の許状の引継でした。許状に関しては別の機会に詳しく書きます。お茶を習い始めて十数年になりますが、習い初めによく質問されました。「なぜ習い始めたのですか?」この問いに対する答えはいつも同じ「日本人だから」。
ある時ふと自問自答したことがあります。「日本人の条件とは?」生まれが日本だから、育ちが日本国内だから、日本語をしゃべれるから等々。自分なりに見つけた答えは「日本文化を身につけている、日本文化を継承している」でした。さらに自問自答「ではおまえはどんな日本文化を身につけている?」。答えは「日常的日本語が話せることくらいで他はノー」。日本文化に関しては全く自信ありません。着物を一人で着ることはできないし、筆で字を書くこともおぼつかず、長唄、謡い、舞や踊りなどは未知の世界。そんな時ある人が「お茶を習うと衣食住、全部勉強できるよ」と教えてくれました。なるほど、そうならば話しははやいとお茶を習い始めたわけです。実はお茶を始めてしばらくすると、今度は習字にも入門しました。お茶室には必ず茶軸が掛けてあります。茶軸の多くはお坊さんの字ですが、はっきり言って読めません。では習おうと言うことで入門しました。結局先生の元に足を運んだのは初日の一回きり、下手だから練習するのは分かります、練習した字が、自分の書いた字が下手なのも理解できます、しかし何度も何度も自分の書いた下手な字を見るのが嫌になってきました。その点お茶のお稽古は道具を片づけてしまえばへたくそな証拠は残りません。加えてその都度美味しいお菓子は食べられますし、旬の花を愛でることもできます。意外なことに度胸もつきます。VIPの前でも動じなくなりました。困った時にはすぐ茶室ならどうする?と考えます。衣食住についても確かに勉強になります。このようなわけでお茶だけは長続きしたのかも知れません。今になってみると継続は力なりとつくづく思います。 どうぞ皆さんも且坐喫茶。


1999.06.01
抜け道・分かれ道
先日の金曜日の夕方、スタッフから百円玉が一個もありませんとのこと。もう銀行は閉まっているし、明日は土曜日だし、どうしよう。その夜、油津で飲み会でした。スナックのママにこんなときどうする?て聞いたところ、すぐさま『百円玉ならコインランドリーで、五百円玉ならパチンコ屋さんで』と即答、流石です。やわらかい頭とはこういう事なのでしょうか。どうしても既成概念で両替= 銀行と考えてしまいます。ちゃんと抜け道があるのですね。
またある日のこと学校帰りの小学校一年生の会話。
『どこ行くの?』「歯医者」『イタイやろ』「痛くないよ」『・・・・』「じゃあね、バイバイ」『ばいばい』
この分かれ道は大きな分かれ道です。このお子さんはきちんと予防することによってひょっとすると一生歯の痛みを知らずにすむかも知れません。未知ゆえ不安を抱いてる方へ、勇気を出してどうぞ。以外とその歯医者さんは頭がやわらかいかも知れませんよ、以外とその道が抜け道になるかもしれません。