1999.05.31
道具を分相応
またまたお茶の復習ニッキ。茶室に次のような額が掲げてあります。
  清規
 美味しいお茶を
 きれいなお点前で
 道具を分相応
     甲北庵
最後の道具を分相応、なかなかこれが難しいようで。カルノも習い初めはお茶碗が欲しくなり、幾つか買いました。当時鹿児島にいたためほとんどの薩摩焼きの窯元をまわりました。先の清規はいつも目にしているにもかかわらずお茶碗を買い求めていました。六碗くらい手にしたときでしょうか、ふと「道具を分相応」が響きました。それ以来求めることをやめました。どんなに美しいお茶碗であっ ても今の自分のお点前では不釣り合い。
この日のお稽古は、盆点て、唐物。花は舞鶴草、花入れは玄玄斎好み鶴首。お菓子は白藤、明石屋。


1999.05.23
薫風自南来
カルノはお茶(裏千家)を習っております。年数だけは長いのですが、未だわびさびよりも和菓子の方が・・。先日のお稽古の復習のつもりで復習ニッキ。
今月五月から炉から風呂に替わります。まず、大天目。天目茶碗に天目台。象牙の茶杓に和物の茶入れ。建水は唐金、水指しは曲げ。次に行の行の台子。このお点前で使うのが八卦盆。坎、離、震、兌、艮、坤、乾、巽で八卦、それぞれに関連があり、順に、坎は北で水。離は南で火。震は東で雷。兌は西で沢。艮は北東で山。坤は南西で地。乾は北西で天。巽は南東で風。という具合で八卦となります。
お茶は喜雲で小山園。お菓子は外郎で八つ橋、明石屋。お仕覆が剣先緞子と本国寺金欄。花が下野。お軸が「薫風自南来」でした。


1999.05.19
「アルミカン」
「あ!るみ!カン捨てちゃだめえ。」
の声とともにボクは空高く舞い上がった。
ボクはアルミカン。さっきまでジュースがおなかいっぱいつまっていた。生まれたのは日本、スーパーに並んでいた時るみちゃんが買っていった。るみちゃんはお母さんといっしょにマルンドという国に来て、四WDの車でジャングルを探検していた。るみちゃんはのどがかわくとボクを取り出し飲み始めた。飲みながら一度でいいから投げ捨ててみたいと思った。日本ではカンを投げ捨てると一年間はカンジュース禁止である。子供たちの間ではカンを投げ捨てることが一つの夢であり、るみちゃんはついにやってしまった。
空に舞い上がったボクは、葉っぱや木の枝にぶつかり根元にカランと落ちた。あたりを見わたすと大きなタイヤで踏まれた草木がゆっくりと頭をもたげ始め、深く息をすると草花のにおいが空っぽのおなかに満ちて来た。
ボクはなぜか悲しくなった。涙が一粒、二粒。あれ、これ涙じゃなくて雨だ、雨粒だ。いつしか空はまっ黒で、ジャングルのざわめきは消えている。と、次の瞬間、大きな音とともに光が落ちた。雷だ。続いて大粒の雨。ボクのおなかはすぐ雨粒でいっぱいになり、周りで葉っぱや小石が流れ始めた。そしてボクもジェットコースターよりも速く、クネクネとジャングルの中を流れ始めた。あっと思ったら目の前に大きな樹が現われ、ドシンとぶつかって気を失った。

まぶしくて目が覚めた。目を開けると、まっ青な空、緑のはっぱ、あざやかな色の花々がとびこんできた。するとどこからか、
「大丈夫かな。」
と、ゆっくりした声が聞こえてきた。見上げると大きな樹がボクを見ている。
「大丈夫かね。わしの名はジャングラ。来年で百才になる。大丈夫かね。」
「ボク、アルミカンです。ボク、日本から来たアルミカンです。」
「まあ落ちついて、落ちついて。ゆっくり話しなさい。けがはないかい。」
「はい、大丈夫です。少しへこんだけど。」
ボクはうれしくなって、スーパーに並んでいたことから嵐のことまでいっきに大声でしゃべった。ジャングラはニコニコしながら聞いてくれて、ゆっくりと話しはじめた。
「ここはマルンドの奥のアロマ地方。絶めつしかかった動物、虫、草花たちがみんなここに移り住んでくる。ここには人間ははいってこれない。アロマを出る時には、みんなイヌやサルのぬいぐるみを着ていく。ここには、人間、命のないもの、心のないものは住めない。」
ボクは考えた。ボクは心はあるけど命はない。ボクは住めるのかなあ。
「ジャングラ、ボクはどうなるの。」
「アルミカンは、おなかに雨水がはいっている間はここにいてもいい。しかし雨水が乾いてしまったらアロマのだれかが外に連れ出すだろう。」

翌朝から、いろんなみんなが遊びに来た。
ワラビー、ドードー、ハチドリ、キツネザル、アイアイ、アナティー、バク、ガゼル、カワウソ、オジロワシ、ゴクラクチョウ・・・。特にゴクラクチョウの夫婦はボクの頭にのって18曲も歌をうたってくれた。けど3曲目にウンコされた時はくさかった。アロマのみんなと友だちになればなるほどボクは悲しくなった。おなかの雨水が乾いてしまったらもうアロマには住めない。空を見上げてはスコールが来るように祈っていた。
「ジャングラ、おなかの雨水もあと二、三日で乾くよ。やっぱりここには住めないの。」
ジャングラはニコニコしているばかりで答えてくれない。

ついに雨水が乾いてしまった。
「みんな、今までありがとう。ボクは今日でお別れです。みんなのことは忘れません。みんな元気で。いつかきっと、みんなに・・・。」
それ以上はつまって言えなかった。こんなに悲しいのに、ジャングラやみんなはニコニコしている。よけいに悲しくなった。するとジャングラがゆっくり口をひらいた。
「アルミカン。気を悪くせんで聞いてくれ。わしらはみんなアルミカンが好きだ。しかしここアロマには命のないものは住めない。命さえあれば小さな花であろうと、雨水であろうと住める。ゴクラクチョウの夫婦のことを覚えているかい。なぜウンコをしたと思う。」
アルミカンははっとして頭のま裏を見た。するとそこには、小さな小さな黄色の花が咲いていた。
「アルミカン、君もアロマの住人だよ。さあみんなでおいわいだ。」
「ジャングラ、本当なの。」
「本当だよ。本当だ。おいわい、おいわい。」
アルミカンは生まれて初めて、本当の涙をとめどもなく流しながら、みんな一人一人にありがとうを言い続けていた。

追伸 思い出しニッキ JOMO童話賞 応募作品 98年5月


1999.05.18
「イント君」
「ただいま」
と、玄関の戸を開けると、夏山の山彦のように「お帰り」とママの声が返ってきた。その声には耳もかさず一目散に二階の自分の部屋のドアを押した。
「イント君、今帰ったよ。元気にしてた?」
「イント君、いま窓を開けるからね。」
しばらくすると開いた窓からイント君が顔を出した。白と黒のぶちの小犬のイント君は嬉しそうに尻尾を振った。もともと小さな尻尾なので振るとよけい小さく見える。
「イント君、きょう学校でね。」
と、登校中に見つけたフナの話からはじまって、同じクラスのいじめっ子のこと、嫌いな音楽の先生のことなどを一気にしゃべった。
イント君は小さな尻尾を振りながら最後まで僕の話を嬉しそうに聞いてくれる。
「ただいま」
と言おうとしてママの居ないことを思い出した。昨日からホームヘルパーのパートに出はじめたんだ。小さな声で「ただいま」「お帰り」を言って二階に上がった。
「イント君、今日は何の本を見せてくれるの」
イント君はいつも色々な本を開いて見せてくれる。イント君は小屋の中に大きな本屋さんを持っているみたいだ。きょうの本は鳥の鳴き声の本だった。ホトトギスが本当に「ホトトギス」と鳴くこと。ウグイスの鳴き声は色々と変わっていくこと。コジュケイが「チョットコイ」と鳴くことなど、実際に鳴き声も聞かせてくれる。しかし、どうしてママはパートに出はじめたんだろう。パパがジタンで大変、大変と言っていたからかなあ。やはり家にママが居ないとイヤだな、おやつもないし、ママの「お帰り」の声を聞かないと何かイヤだな。学校を休んじゃおうかな。そうだ、おなかが痛いとウソを言って休んじゃおう。そうすればママもうちに居てくれるかなあ。
「ただいま」
ママが帰ってきたみたいだ。学校を休んで一ヶ月になる。学校に行かなくても全然寂しくないんだ。いつもイント君が遊んでくれるし、色々な本を持ってきてくれる。きょうの本は冬眠の本だった。クマやリスがどんなふうに冬眠するかを見せてくれた。この前遊びに来たたけし君が言ってたけど、コンピューターゲームばかりしていると冬眠中のクマのようになって、いつもボーとして眠いそうだ。そう言えば僕も最近、頭がぼーっとしていつも眠い。学校に行かずに部屋の中にずっと居るから冬眠してしまうのかなあ。ああ、また眠くなってきた。
「あの子が休んで一ヶ月になりましたよ。」
「そのうち行くって言い出すよ。」
「あなたイント君て何のことだか解ります?」
「知らないよ。」
「あの子が寝言でイント君イント君て。」
「ハムスターでも飼っているんじゃないのか?」

「ただいま」
大きな声で言おうとしても小さな声しか出なかった。久しぶりに学校に行ったからかなあ。
「お帰り」の声とともにママが出迎えてくれた。ママはパートをやめたんだ。ホームヘルパー先のおじいちゃんが入院したんだって。
「あなた、あの子やっと学校に行くようになりましたけど、帰ってくるなり部屋に閉じこもってイント君遊ぼうとか何とか言っているのよ。イント君て何なのかしら?」
「ひょっとして去年のクリスマスに買ってやったインターネットのパソコンのことじゃないのか。あのソフトは小犬がガイド役として使い方や何かを教えてくれるんだ、きっとそうだ。」
数日後、僕の知らない間にパパは僕の部屋にはいりパソコンを立ち上げイント君に会ったみたいだ。
「よし、パソコンを会社に持って行こう。」
「そんなことしてあの子大丈夫かしら?」
「次の手は考えているよ。」

「ただいま」
奥から「お帰り」が二回聞こえた。パパもいるみたいだけどどうしたんだろう。いつものように部屋に上がった。何か違う、何かがない。あっパソコンが消えてる。イント君に会えない。
「パソコンがないよう。どこにやったの。」
「パパが会社で使うから持って行ったよ。」
「イント君に会えない。イント君に会えない。」
「イント君はここにいるよ。」
「うそだ。うそだ。」
泣きじゃくる僕の目の前を何かがよぎった。
涙を拭いて目を開けると、イント君が尻尾を振っている。本当の犬のイント君だ。
「イント君。イント君。」
「ワン、ワンワン、ワンワンワン。」
「イント君と外で遊んできたら?」
「もちろん、公園に行って来るよ。」
日がとっぷりと暮れるまで公園でイント君と駆け回った僕は、久しぶりにぐっすりと眠りについた。

追伸 思い出しニッキです。 JOMO童話賞 応募作品 96年5月


1999.05.16
五十周年に寄せて
五十年という歳月は、三十五才の私にとっては想像の域を超えている。つい先日の新聞に流行語の記事が載っていた。この記事を参考に五十年を振り返ってみたい。
まず五十年前の昭和22年「六三制」「肉体の門」、23年「てんやわんや」、24年「自転車操業」「サンドイッチマン」、25年「レッドパージ」「とんでもハップン」、26年「逆コース」「ノーコメント」、27年「LP」「君の名は」、28年「八頭身」「シネマスコープ」、29年「死の灰」「十二章」、30年「最低」「ノイローゼ」、31年「太陽族」「一億総白痴化」、32年「グラマー」「神武以来」、33年「オートメ夫人」、34年「ファニー・フェイス」「カミナリ族」、35年「所得倍増」「インスタント」、36年小生誕生「わかっちゃいるけど」「レジャー」、37年「青田刈り」「無責任時代」、38年「バカンス」「ハッスル」、39年「ウルトラC」「シェー」、40年「明治百年」「まじめ人間」、41年「びっくりしたな、もう」、42年「クールとホット」、43年「ハレンチ」「昭和元禄」、44年「はっぱふみふみ」「モーレツ社員」、45年「ハイジャック」「鼻血ブー」「ヘドロ」、46年「日本株式会社」、47年「はずかしながら」「ヘンシン」、48年「狂乱物価」「ナウな」、49年小生小学校卒業「金脈」「ニューファミリー」、50年「ちかれたびー」、51年「ピーナッツ」「偏差値」、52年「ルーツ」、53年「窓際族」「竹の子族」「フィーバー」、54年「口裂け女」「天中殺」「省エネ」、55年小生九州歯科大入学「それなりに」「ビニ本」、56年「MANZAI」「カ・イ・カ・ン」、57年「心身症」「校内暴力」「ひょうきん族」、58年「義理チョコ」「ニャンニャンする」、59年「キャピキャピ」、60年「エイズ」「新人類」、61年「激辛」「土地転がし」、62年「ディンクス」「朝シャン」、63年「おたく族」「過労死」「自粛」で、平成へと移って行く。平成二年七月桜歯科開業。
この五十年もの間、先輩の諸先生方は、このような言葉を耳にされながら、このような言葉の出て来た口を中心に地域医療に携わり生きて来られ、その結果がこの日南歯科医師会の五十年だと思うと頭の下がる思いであります。私もこれからの五十年に少しでも尽力できれば幸いです。

追伸 これは思い出しニッキ 97年9月


1999.05.07
少し臭う話
昨年の初釜でのこと。懐石、濃茶と頂き、次客として正客より先に薄茶を主茶碗にて頂こうとした時、何かしら臭うのです。この茶銘は何だろうと訝りたくなるような香りというより匂いでした。実はこの匂いは土の匂いだそうで、亭主の説明によれば、この茶碗、現前田家当主鵬雲斎家元共彫大 焼十代長左衛門焼で裏千家四代仙 宗室没後三百年記念の茶碗だそうです。粘土が若いため臭うとの こと、数年で消えてしまうそうです。ワインならまだしも土の匂いの茶碗とは驚きでした。


1999.05.05
揚幌月在天
最近車をかえた。手動ギア変換式二人乗り畳み込み式幌屋根付き車に換えた。これがはたまたいとおかしである。マニュアルのため操作が多く煩わしいが、いと楽し。これに乗るようになって幾つかのことを発見した。
まず走る速度。50キロ制限の道を70キロで走る。100キロの高速道路を120キロで走る。では無制限のアウトバーンなら200キロで走れるのか?これに乗る前は4ドアセダンに乗っていた。高速道を120、130キロで駆っていた。ところがこれに乗るようになって平均80キロ走行、スピード出しても90キロが関の山である。なぜか恐いからである。危険を感じ恐いためスピードを出せない。すなわち走るスピードを決めるのはドライバーの恐怖心なのである。
次に空。タイトルのごとく幌を揚げれば月天にあり。昼間なら青空が夜ならば星空が頭上に広がる。信号待ちで天を見上げる。天を仰いで一人ニンマリ、このときだけは気分はエコロジスト。
これはマニュアルである。忙しい、煩わしい。停止、発進のつど両足ともに使う。ケータイをかけている暇はない。好きなCDを選んでいる暇はない。しかし楽しい。まさしくfun to drive。ある英国車の宣伝文句に「やすらぎ、ゆとり、にんげんらしさ」とあった。疑問を持った。車なら車らしく機械らしくが本当ではないか。ロボットのように従順なサラブレッドより、一筋縄では行かない手綱捌きを必要とする汗血馬の方が車らしいのではないのか。 これに乗るようになって車らしい車、運転らしい運転とは何かを考えるようになった。今よりも、もっとキャブリオレーが増えれば車のスピードは落ち、ドライバーはもっと環境のことを考え、ケータイを使わなくなるかもしれない。
秋が来れば掬水月在手を、春になれば弄花香満衣を、これを駆って楽しみたい。

追伸 これは思い出しニッキ-980722書く