2002.06.10
「女の引き算」
 その人は、いつも遅れてきた。打率で言えば、軽く九割を越える。ともかく、遅れてくる。待つこと、30分、60分はざらであった。惚れた弱みもあり、こちらは、ひたすら待った。
 つきあい始めて4、5年たった頃であろうか、あんまり、いつもいつも、その人が遅れるので、その理由を尋ねた。その時の会話で、ナゾが解けた。
 その人は、引き算だった。
 ゴールからの引き算であった。それに引き替え、考えてみると、こちらは足し算である。スタートからの足し算である。たとえば、これから、それぞれ別の用事を済ませて、3時間後に出発するとしよう。こちらのやり方、足し算方式でいけば、やりたいこと、すべきこと、買い物やら、野暮用を済ませるべく、すぐに行動を開始する。すべきこと、やりたいことが7つあって、全部終わったら、結果、20分余った。では、カフェでコーヒーを、となる。ところが、その人の引き算では・・。まず、コーヒーである。飲みながら、一応、頭の中では、あれに何分、これに何分・・。と、考えているようである。しかし、行動を開始してみると、思いのほか、道が渋滞していたり、レジで待たされたり。おおかた、人生とは思うようには行かぬもの。結果、時間が足りなくなって、完璧遅刻。
 ある時、ついにこちらも、堪忍袋の緒が切れて、言った。
「君は、絶対、待ってくれると思っている。甘えるな。飛行機ならば絶対待ってはくれない」。
 ところが、その人は、飛行機にも乗り遅れた。その電話を受けたときには、こちらは脱帽。さすがに、そのあとは、少々、時間を守るようにはなったが、時が経てば、やはり同じ。
 そのくせ、腕時計の話になると、目を輝かせて、自分のお気に入りのデザインや色の話をする。その人は、時間と腕時計は、全く無関係のものと考えているらしい。この服だから、こんな時計が合うと言う。時間には引き算でも、時計に関しては足し算のようである。こちらにしてみれば、この服にも、あの服にも合うように、この時計を選ぶという、取捨選択をする。言ってみれば、引き算だ。
 時間を守らないのに、時計の話となると、時を忘れて話すその人に、
「どうせ、時間を守らないのだから、君に時計は要らないよ」
と、言ったら、こう返ってきた。
『お気に入りの時計が有れば、時間、守るわよ』。
返す言葉を失ったが、心の中では、こう思った。
「猫に小判」。