2002.01.10
「思い出しニッキ」
ヨーロッパ学術研修ツアー(2001/08/12-18)に参加して
2001/10/10記

 古賀先生と珍道中を楽しむようになって、早五年が経つ。1996年のドイツ以来、毎年のように同行している。今回は、スイス・チューリッヒでの研修。
 8月12日、日曜日朝、成田空港集合。事前の資料で参加メンバーの名前はわかってはいるが、はじめて会う人も多い。まずは最初のどきどき、わくわく。いつも思うのだが、人がお盆を、お墓参りなどして家族とゆっくり過ごすこの時期に、ひとりだけ、勉強しよう、しかも海外で勉強しよう、などと思う輩(やから)は何かしらちょっと違う。集合して、紹介が終わった時点で、珍道中になるであろうと確信する。
 アメリカ同時多発テロの起きる前のことでもあり、成田空港は海外脱出組で混雑、お昼の出発便も日本人でほぼ満席。JALとの共同運航のスイスエアーでの12時間。心成しか、機内サービスが以前より落ちたような(約二ヶ月後にこの航空会社が倒産するとは夢にも思わなかった)。12時間は長い、ほとんど眠る。眠っても、やはり長い。
 同日夕方、チューリッヒ空港着。ホテルチェックインのあと、まずは時差ボケ防止のために市内をぶらぶら。チューリッヒ市内は、湖と川が街の中央に位置するために、地理は非常に把握しやすい。今回三回目ということもあり、勝手知った我が町の如くにうろうろ。長かった一日がやっと暮れてベッドへ。

 8/13月曜日、研修第一日目。まずは、チューリッヒ大学歯学部の施設見学。ここ数年かけて、全面改築した歯学部校舎並びに付属病院、きれいである。改築直後であるから、きれいであるのは当たり前かも知れない。しかし、使い始めて一年以上たつらしい、技工室や実習室も、未使用のようにきれいである。ただ、単に使ったあと、整理整頓されているというよりも、使う人の心がきれいであることが伝わってくるような、きれいさである。感心する事しきり。実は昨年も、案内していただいた。半分以上は改築が済んでいただろうか。恐れ多くも、当時付属病院長でもあったピーター・シェーラー教授直々に案内していただいた。その時も自慢された設備のひとつが、ここの滅菌システムである。今回も、案内された方が自信を持って説明された。学生の臨床実習は勿論、ダミーを使っての学生の技工実習の段階から、この滅菌システムを使うとのこと。教授は世界一であると言われた。なぜ世界一なのか、なぜ世界一である必要があるのかを説明された。スイスは永世中立国である、永世中立国であるということは、全世界の人々がこの国には居るし、やって来る。全世界の人が来るということは、全人種の人々が来る可能性がある。全人種という意味は、世界中のあらゆる細菌やウイルスを相手にするという意味でもある。それゆえに、ここの滅菌システムは世界一であるということだそうだ。ごもっともである。誠に恐れいった。と、同時に、自分自身のこと、大学で受けた教育、その後の臨床でのことを考えると、恥ずかしくなった。あまりにも差がありすぎる。時代が違う、国が違うと言えばそれまでかも知れない。しかし、グローバルスタンダードが声高に唱えられる今、これでよいのだろうか。このままで良いわけがない。自己反省しきりであった。自分自身がウイルスになって隠れてしまいたいくらいの恥ずかしさを覚えた。ここでは、どうせ、すぐ見つけられ、滅菌されるでしょうけど。
 午後から、Mr.Max Bosshartによる、総義歯に関しての講義が始まった。彼は、ご案内の通り、故ゲルバー教授の右腕といわれた歯科技工士である。ゲルバーシステム、ゲルバーテクニックを正確に、忠実に、しかもじつに解りやすく教授してくれる。前回(1997年)が、基本編とするならば、今回は応用編の内容であった。前回同様、今回も感じるのは、本家本元ほど、その講義や話は優しく解りやすい。枝葉が全くないわけではないが、幹がしっかりしているため、すんなり理解できる。加えて、彼の英語は流暢でスイス人特有のドイツ語的なまりがほとんどない。
 今回のセミナーでの、一番のノイエスは、上顎のみ総義歯、下顎は欠損無し有歯顎症例のケースであった。咬合した時に、上顎総義歯が安定するように、いかに咬合力を持っていくか。簡単に言えば、下顎の残存歯の咬合面形態を変えるということである。その話の中で、出てきた数値、試験的に食べさせるフードなど、やはりスイス的であった。彼らにしてみれば、当然のことで、考えもしないだろう。スイス人がスイス人の総義歯を作る。ごく自然である。しかし、我ら日本人にとっては、違和感を感じる数値、内容がたまに出てくる。そのことを指摘すると、彼らは、苦笑いしながら「そうだろうが、人間の食べるものに大差ない」と答える。その通りだろう、しかし、我ら日本人にとっては、そのこと、スイスと日本の違い、欧米とアジアの違いをきちんと踏まえておく必要がある。人種的な骨格の違いなどや、食生活の背後にある文化の違い、食べ物に対する要求度など、いろいろあると思う。
 二日間にわたり、講義と実習があった。内容は濃く、充実したセミナーであった。しかしながら、思うに、ヨーロッパの人はコーヒーブレイクが大好きである。セミナーのブレイクのコーヒーなのか、コーヒーのブレイクのセミナーなのか。学食でのコーヒーブレイクであったが、学食と呼ぶには失礼なほどお洒落で、まさしくカフェ。テラスで、さわやかな風をうけてのコーヒーブレイクであった。

 8/15水曜日は、Mr.Willi Gellerのラボでの一日。チューリッヒ中心部から路面電車で10分足らずの閑静な住宅地の一角にある。地下一階、地上二階屋根裏部屋付きの堂々としたラボである。ここを訪れるのは三回目であるが、いつも、にこやかに人なつっこい目で迎えてくれる。彼の執務室(技工ではなく事務をする部屋)には、茶道の野点用の道具が飾ってある。かなりの日本びいきのようだ。
 まさしくバーという雰囲気の地下室での講義。15、6人は座れるスペースと、横にはカウンター、奥にワインラック、まさしくバーである。三大セラミストのひとりといっても過言ではないと思うが、かれの話には必ず、「光」がでてくる。彼のいうところの光は、単なるlightではなくcolourそのものである。常に、光の透過性・反射を計算した上での色である。その結果、光(透過性)と陰(反射)を踏まえた色を醸し出す。宮崎は日南にいると、光は全て陽光であり、光に、全くかげひなたがないようにさえ思える。しかし、スイスは事情が異なるようだ。光、日光に対する憧れといってもよいほど、光に対する欲求が強いらしい。話は少々飛ぶが、なぜ、フロイトやユングなどに代表される心理学がスイスで発達したのか?理由は自殺者が多いからだそうだ。世界で一番、晴れの時間が少ないのがスイスで、いつも曇っているため、人々はふさぎ込み、飲酒、喫煙、ドラッグへと走り、社会問題となり、心理学が発達したと聞いている。このような背景もあって、光に対する感受性、欲求度、理解度が高いのかも知れない。いずれにしても、彼の作品、仕事には、感嘆させられる。ヨットが趣味という彼は、この日も夕方からヨットのある湖のキャビンに車を走らせるんだと、少年のような笑顔で語っていた。まさしく、よく遊び、よく働きである。
 その日のランチは、ラボで修行中の日本人技工士の方が茹でたパスタ。裏庭に、テーブルと椅子が並べられ、白いクロスの上にはオレンジジュースとコップ。クオリティオブライフを実感させられる。夕方、Mr.Gellerの人なつっこい目に別れを告げ、ダウンタウンに足を向けた。

 四日目は終日自由行動。スイスアルプスに行くグループを見送り、こちらは本屋巡り。頼まれていた総義歯の本を捜す。医学書専門店にまず行くが、無い、全くない、総義歯関係の本が全くない。ギージー、ゲルバーと総義歯の大家を生み出した、チューリッヒ大学のお膝元、足元の本屋に、総義歯の本がない。有るのは、咬合診断、歯科薬理、そしてインプラント関係の本。インプラントの本だけは有るわ、有るわ。結局3軒回って、歯科の歴史の本を買ったのみ。
 チューリッヒ市内には、光を求めてか、至るところにカフェがある。こちらのホテルやレストランなどには、ほとんど冷房設備がない。昼間はもちろん、夕方であっても、レストランの中よりも、涼しい外の席から埋まっていく。二日目に気付いたことに、こちらには蝉がいない。真夏なのに、静か。日南の夏のように、蝉のせわしい声が暑さに拍車をかけるようなことがない。ちなみに、蚊も居なかった。カフェでランチを取りながら、道行く人を観察しながら、ワインを楽しむ。フルオブライフ!!
 バリーの本店がチューリッヒにはある。スウォッチショップ、チーズ屋さん、腕時計宝石屋さん等々、見るだけでも楽しい。カフェもおすすめだが、惣菜屋でおかずを買い込み、近くのカフェのテーブルでちゃっかり食べるもまた楽し、ただし、ビールだけは注文してから。この研修ツアーでは、いつもご当地に慣れた頃には帰国となる。スイスのみならず、ドイツ、イタリアと半年でも、一年でもいても良いくらい心地よい。それ故か否かは別にして最近、海外の著名なラボで修行する日本人技工士の方が増えたような気がする。これは、歯科医師にとっても良い傾向であり、良い刺激となる。おそらく近いうちに、若手で世界的な評価を受ける日本人テクニシャンが登場することであろう。

 毎回思うことだが、いいものを作るためには、自由競争が必要である。実際ヨーロッパは自由競争である。チューリッヒ大学においては、学生が治療する場合の患者さんの支払いは、治療費はゼロで、材料費のみだそうだ。助手、講師、助教授となるに従い、治療費は高くなり、当然、教授が治療する場合にはかなりの支払いとなる。大学においても自由競争である。良い技術が、そのプライスにおいて正しい評価を受けなければ、極端な言い方だが「悪貨は良貨を駆逐する」である。今回のMr.Max Mr.Geller、彼らは、完全に好循環の中で仕事をしておられる。仕事をすればするほど、腕は上がり、知識は増え、結果的に収入もます。人生を楽しめる。その好循環を作ったのも彼ら自身である。自分自身がこのような好循環を、作っているとは言えないし、はいりつつあるとも言えない。しかし、いつの日か、好循環に入れる日を夢見つつ、早くも来年のツアーに思いを馳せている。