2001.8.28
「ズーリック研修旅行」
8/12日から18日まで、ズーリックに研修に行って来ました。ズーリック?日本語ではチューリッヒ、あの保険会社の「ハロースイス」のチューリッヒです。成田発のため、前日に東京入り。夜、青山のフレンチで食事していましたら、なんと女優のR.M.さん、写真集出したり、お相撲さんといろいろあった方です。フッと入ってこられて、あれっ、ほんものだあ!綺麗な方ですね、やはり。しかも足が長い。御尊顔(横顔)を拝しながらの食事でした。その感動に酔いながら、銀座でカクテル、心地良い酔い出発前夜でした。
 翌朝、成田へ。スイス航空との共同運航のため、スイス航空の乗務員と飛行機。片道12時間は、結構長いものです、ただひたすら寝るだけ。日本をお昼に発って、ズーリックに着くのはその日の夕方。日曜日のため開いているのはレストランのみ。今回、三回目であったため、地理感もばっちり。パスタファクトリーで夕食。メニューが映画俳優の名前であったりと結構ユニークで「go to hell」なるものを頼みました。その辛いこと辛いこと。ヘルはヘルでも、口の中は火の海地獄。ホテルというかインの部屋は馬馬虎虎でしたが、冷房がいまいち、あまり効かず。しかし、蚊が居ませんので(蝉も居ませんでしたが)、窓を開けてのズーリック初夜。 翌月曜日、朝6時から散歩。ズーリックの空気は森林浴しているような空気。湖までぶらぶらと。帰りにスターバックスでコーヒー買って(ここにもスタバコは増殖していた)、インへ。ドイツに比べるとかなり質素な朝食取って、ズーリック大学へ。昨年は改築中だった歯学部もほとんど終わっていて、綺麗になった施設での講義。
 ズーリックはドイツ語圏、講師の先生の常用語はドイツ語。その人の英語だから日本人には分かり易い。英語を母国語とする人の英語の講義は少々流暢すぎて分かり辛いことがあります。スイスと日本の歯学部教育のギャップにショックを受けながら、カフェで昼食。学食と呼ぶには失礼なほどスマートな食堂。しかし、向こうの人ってすぐコーヒーブレイク。
 研修第一日目の夜は、向こうの人がセッティングしてくださっており、地元の人のみぞ知るというレストランでの食事。スイスも結構スローフード。注文が終わった頃には8時過ぎまで明るい空もとっぷりと暮れていました。


2001.8.30
「ズーリック研修旅行2」
 ズーリックといえども、昼間太陽の下は結構暑いです。ただし、空気が乾燥していますので、陰にはいるとそれほどでもありません。ズーリック市内中心部はほぼ歩いて回れます。ズーリック大学は中央駅から歩いて行ける距離です、インからもすぐでした。もう一カ所の研修所は、日本でいえばチンチン電車に乗って三つ目の電停付近。こちらの市内を走る、公共交通機関は、おそらく全部電気です。チンチン電車ももちろん、タイヤが付いているバスのような乗り物も、バスの屋根から棒が伸びていて、電線から電気を引いているようです。また、結構大学周辺は坂が多いにもかかわらず、自転車を多く見かけます。公共交通機関が電気で動くのも、自転車が多いのも、どうやら環境のためのようです。
 こちらに来ると、非常に無駄がないと感じます。ズーリック中央駅前であっても、信号機のない横断歩道があります。しかし、人が横断歩道に近づくと、必ず車は止まります。もちろん信号機のある横断歩道もありますが、青信号なのに誰も渡らず、車だけがアイドリングしながら停まっているという光景はほとんど見ません。そのような歩行者がいないというよりも、そのような状態をつくらないシステムになっているようです。数年前にドイツのハノーバー空港から地方都市にバスで移動したときのことです。夜だったということもあるんでしょうけど、バスにとってはほとんど青信号。こりゃ不思議と注意して見てますと、バスが交差点に近づくと、センサーが反応して青になるようです。日本との違いは、そのセンサーが交差点のかなり手前にあって、バスはスピードを落とすことなく、青信号で通過できるのです。
 ズーリック中央駅には改札はありません。またチンチン電車は、切符を電停の自動販売機で買いますが、回収はありません。こちらに来ると、自立しているとつくづく感じます。自立しているから、自己責任を高く評価しているから、無駄が省けるような気がします。街全体にそのようなシステム、仕掛けがあるように思えるのです。見習うこと多しと思いますが・・。


2001.8.31
「ズーリック研修旅行3」
 最終日は疲れました、歩きすぎました。朝6時30分から7時30まで散歩、朝食後、インを9時頃出て、帰ってきたのが夜10時30分頃。途中ランチと夕食で、1時間30分間座っていたとしても、なんと12時間以上うろうろした計算になります。疲れるはずです。
 最終日は一日自由行動でした。まず、頼まれていた本を探しに、専門書の本屋さんを二軒まわり。見つかりませんでした。総入れ歯の本を探したのですが、専門書店には総入れ歯の本自体が、ほとんど置いてありませんでした。実は、スイス特にズーリックは、現代総入れ歯の発祥の地といっても良いくらいの処なんです。古くはギージー先生、あとを受けてのゲルバー教授。今、日本に入っている総入れ歯の理論や術式は、ここで生まれたものがダイレクトに入ってきたもの、ここで生まれアメリカ経由で入ってきたものです。その本家本元のズーリックにはもはや総入れ歯の本はない!ある本は、インプラント、咬合診断などがメインでした。少々がっくりでした。めげずに歯学史の分厚いけど安い本をゲット。あとあとこの本を入れたトートバッグが肩に食い込むことになるとは知らずに・・。
 スウォッチショップでは、買い方にちょっとしたコツが必要です。日本人数人が連れ立って一緒に買おうとしてもダメです。向こうの人は、ひとりずつしか対応しませんので、すぐ臍を曲げて聞こえない振りをします。まずは、じっくり見て買う時計をしっかり決めます。そしておもむろにカウンターに近づき、買う意志があることを伝えます。人が待っていれば、買う意志を伝えたあとはおとなしく列に並びます。順番が来ると、先程までの無愛想な顔がスマイルとなって、相手をしてくれます。
 バリーの本店はここにあります。日本人の店員さんもいて、日本未入荷の商品もそろっています。たまに、日本だけの発売という商品もあるそうで、出発前に雑誌でチェックして切り抜きを持っていっても、無いということもありますが。スイス航空のビジネスクラスにはこのバリーの機内履スリッパが付いています。冬はウール、夏はコットン製。降りるとき、横目で見ながら、欲しいなあ。バリー本店で聞いてみたところ、スイス航空用に作っているので、売り物としては置いていないということでした。店員の方は割と落ち着いた女性が多く、丁寧に対応してくれます。最終日の夜は、あっさりパスタで、ということになり、店員さんに聞いたところ、穴場のイタリアンを教えてくれました。
 「ガルソーネ」という店で、中央駅前です。着いてみるとお店は満員、並びました。見てますと、いかにも、イタリア人家族が移住してきて店を開いたという感じ。客への対応は大ざっぱ、小学生らしき息子さん二人もお手伝い。ミスしがちな彼らを、時々見やる、若い頃のソフィア・ローレンふうのお母さん。ここのお店でふたつのことを教えられました。ひとつは、スイス国民は自己主張が非常に強い。もうひとつはスローフード。お店の入り口で男三人待っていましても、男女のカップルがあとから来ます、不思議と、女性の方が我らの間を「あなただち三人でしょ」と言わんばかりの目つきで、分け入って店に入り、店員にお構いなく、空いている二人席に座ります。それも続けて三組、同じ仕打ちを受けました。強くないと生きていけないのでしょう、永世中立国ですから。しばし待つうちに、目は終わりそうなテーブルを捜します。あそこがコーヒーだからもうすぐかなと思っていると、それからが長い。長いというより、永遠にしゃべっている雰囲気。待つ人のことなど全くお構いなし。店の人も、せかすことなく、ひたすらおしゃべり。おそらく、食べている時間よりもしゃべっている時間の方が十倍くらい長いでしょう。やっと我らの番になって、座ってふと考えました。我ら日本人だって、トータルしたら同じじゃないのかって。食事は一次会、酒は二次会、しゃべりは三次会・・。一軒の店で全部済ませたらスイスと同じような気がします。彼らは一軒の店で済ませるわけですから、経済的。まいりました。今後見習うこととします。期待した割には、ホンの少し肩すかしの味でした。インへの帰り道は、疲労のためか無言がち。それでも、翌朝の散歩を約束して、おのおの部屋へ。
 帰り、空港でタックスフリーの手続き。さすが、スイス。文書は機械で処理しますが、地下の銀行で即日本円に。帰りは往路以上に眠っていました。朝成田に着いて、昼過ぎには日南に帰り着きました。