デンタルエコー vol.123
2001年03月25日発行

連載●第4回


ディザイアの見つけ方

 前号で、ニーズ(必要)とディザイア(欲望)の話をしました。今回は、ディザイアの見つけ方についてお話ししましょう。
 脚下を看よ、ということで、ニーズはあらかた把握できるとします。では、ディザイアを見つけるにはどうするのか?見つけて設定するには如何にするのか。
 設定する際に、おおかた二つの考え方があると思います。ひとつは、未来予想図的な、夢いっぱい、幸せいっぱいの設定。もうひとつは、仕掛ける意味を含んだ設定です。

未来予想図的ディザイア
 まず、幸せいっぱいの未来予想図的ディザイアの設定について。ここで言う幸せいっぱい、夢いっぱいは、患者さんにとっての幸せいっぱい、夢いっぱいの意味です。『安い、はやい、うまい』昔の学生街の定食屋さんのキャッチフレーズのようですが、患者さんの希望は、これに尽きるでしょう。これら3つとも満たしていれば、絶対に流行ります。3つのうち1つだけ欠けていてもやはり流行るでしょう。いつも開いていて、待ち時間がなくて、痛くなく、上手で、しかも安い。こんな歯科診療所があったら、そりゃあもう、長蛇の列です。
 ニコラが修行中に勤めていた診療所はその昔、患者さんが多く、待合い室に入りきれず、診療所の前の歩道にまで患者さんが並んでいたと言う話でした。ある時そこの院長先生が言われました。「私は歯医者になるために生まれてきたのではない」と。
 『安い、はやい、うまい』の診療所を実現するのは可能でしょう。仕事に対する考え方は人それぞれでしょう。しかし身体をこわしては元も子もありません。

仕掛ける意味でのディザイアの設定
 花田紀凱さんの書いた、『花田式噂の収集術』という本の中に「大衆は常に味方であるとは限らない」という見出しがありました。同感です。消費税導入に象徴されるように、「総論賛成、各論反対」「建て前賛成、本音反対」がしばしば見受けられます。もちろんニコラも個人的にはそうです。第2回目で、歯科においては店が先であると書きました。
 極端な言い方をすれば、専門家として導くベクトル、もしくはそれなりの方向へ誘導するベクトルが必要なのではないでしょうか?
 ムシバは、他の疾病と違ってほぼ完全に予防することができ、病気発症に関しても患者さん本人が深く関わっています。患者さん側にもかなりの責任が存在する疾病だと思います。そのような意味においても、導くベクトルは必要となるでしょう。

人々がこれから何を求めるのかのヒント
 では、如何にディザイアを見いだすか。灯台下暗し、傍目八目と言いますように、ちょっと離れたところにヒントはあるように思います。好奇心旺盛のニコラの手法は、新規開店見物です。デパート、ショッピングビル、ホテル、レストランなど、新規開店の情報をゲットしたら即行動開始。可能ならば、オープン当日に、無理でもオープン一週間以内に。その方が新規開店の仕掛けや違いを、より明瞭に見て取れます。特にデパートであれば全館統一性もあり、サービスも均一化されていますので、より分かりやすいと思います。一時期、福岡市で新規開店、店舗改装などデパート戦争が繰り広げられました。
 見て回ると、前号で話したモーターショウ同様、集客の違いは一目瞭然でした。並べてある品物は同じなのに、なぜにこれほど集客数に差がでるのか。答は簡単、行きやすいからです、歩きやすいからです。新規店ほど通路は広く、天井は高く、ぶらぶらしていて楽しい。お年寄りの方にもハンディキャップを持つ方にも優しい。新規開店デパートに来る人々は、買い物に来ると言うより、一種の高級感の中に身をおくことを心地よいとして、足を運ぶのではないでしょうか。同じ買うなら一円でも安くと言うよりは、おしゃれに買いたい、もしくは楽しみながら買いたい。このように、新規開店デパートでは、人々が、今、何を求めているかではなく、人々がこれから何を求めるのかを、垣間見ることができます。
 また、FMラジオで、土曜の夕方にオンエアーされる「アバンティ」という番組があります。音楽を交えながら、「東京一の日常会話」が展開されます。この番組にはヒントが一杯です。この番組をチェックするのも良いでしょう。実際にバーに足を運ぶのも良いでしょう。ポイントは、ひとりで行って、カウンターで静かに飲むことです。そうすると、いろんな話が耳に飛び込んできます。いろんな情報が入ってきます。おしゃれなバーであればおしゃれな会話ですし、オタクな(かなり専門的な、こだわった)バーであればオタクな会話でしょう。

来院者のリクエストを知るには
 もっと手っ取り早い方法としては、月刊誌のインフォメーションのページをくまなく見るのも良いでしょう、できれば数冊。しかも、男性誌より、女性誌の方がベターです。
 いや、それでもなかなかつかめないと思われる場合は、ニーズとディザイアの間にリクエスト(希望)を置いてみましょうか。来院者のリクエストを知るには、待合い室に落書き帳を置いてみると簡単です。その昔、喫茶店やドライブインに置いてあったような、何でも書ける落書き帳です。来院者の方々は、結構遠慮深く、面と向かって質問できなかったり希望を言えなかったりするものです。
 ニコラ・シカでも置いてみました。歯やブラッシングに関する質問、予約などのサービスに関する要望、待合い室に置く本への希望など、様々な声が聞けます。何年か置くうちに、本当の落書き帳になってしまい、引き上げましたが、この落書き帳からは数々の貴重な声を聞くことができました。
 以上、今回まで総論のような内容をお話ししました。次回からは各論的な内容を話してみます。



ちょっと気になるあの仕掛け −4−

待合い室の本 ドラえもんから般若心経まで

 今回は、待合い室に置いてある本についてのお話です。
 ある雑誌の中で、山瀬まみが「サザエさんといえば、歯医者さんを思い出す」と語っていました。なぜ、サザエさんなのか?今風にいえばサザエさんはグローバルだからでしょう。赤ちゃんは別として、小さな子供さんから年輩の方まで、サザエさんなら暇つぶしになります。赤ちゃんからお年寄りまで、同じ診療所に訪れるということは、歯科診療所の特性でしょう。
 ニコラ・シカは二回目以降の来院からは予約制にしていますが、いつもスムーズに行くとは限りません。初めての人、予約のない人、予約に遅れた人、予約よりかなり早めに来られた方など、やはり待合いで待つ方はいらっしゃいます。診療所によってはテレビやラジオをつけていたり、ビデオで映画やアニメ、歯科用教育ビデオを流していたりと、様々でしょう。赤ちゃんからお年寄りまで、来られる方々すべてのお好みに合わせるとなると、テレビやビデオよりも、本や雑誌の方がよいでしょう。山瀬まみがさらにこう続けていました。「そのサザエさんにはカバーが無くて、背がすり切れていた」。こうなると、中味まですり切れているようで、色あせて見えます。
 そこで、色あせないためには、頻繁に変えること、新鮮なこと。新鮮と言えば朝刊です。ニコラ・シカのある街は地方都市で、各家庭には地元紙の方がより多く届いているようです。そこで、同じ置くなら全国紙。雑誌ならば、ちょっと値が張る雑誌。あるコラムニストが「足に落とすと痛い雑誌」と表現していましたが、ちょっと値の張る1.5〜2.0cm位の厚みのある雑誌です。週刊誌も良いでしょうけど、できれば、日頃ご家庭ではあまり買わないような雑誌の方がベターでしょう。なぜなら、「開いてて良かった」よりも、「あ、行って良かった」のほうが、待つ身としては気持ちも和むものです。すなわち何かしらのトッピング、プラスアルファが必要です。知識のトッピング、情報のトッピング、エンターテイメントのトッピング、文化のトッピング、ちょっと贅沢のトッピング等々。
 ニコラ・シカの待合い室でたまに見かける光景ですが、治療後、会計が済んでも帰らずに本を読んでいる患者さん。子供さんの付き添いで来られて、熱心にファッション雑誌に目をやるお母さん。子供さんそっちのけでゴルゴ13を読みふけるお父さん。料理雑誌のレシピをメモして帰られる方。
 本や雑誌ならば、意外と簡単に「待たされた」を「待つも楽し」に、「待合い室」を「読書ルーム」に変えられますよ。



少・年・易・老・学・難・成

【その4】お稽古に学ぶ


 今回は、お稽古についてのお話です。
この「稽古」という言葉を広辞苑で引いてみるととあります。ここでは、お稽古そのものではなく、稽古するということについて考えてみたいと思います。
 ニコラにとって、お稽古と呼べるものは、お茶と外国語学習、走ることでしょうか。お稽古や市民マラソンに参加して、実感することは「吾唯足を知る」です。もちろん、お茶でも外国語でも知らないから、もしくはできないから、稽古や練習に励むわけですが、つくづく自分の足りなさを感じます。
 ハーフマラソンや10キロマラソンに参加すると、それはそれは練習不足、力不足を体感します。どんなに調子が良かろうと、悪かろうと、10キロは10キロです。
 このように、お稽古ごとやスポーツによって、自分の力不足を実感すること、すなわち、「吾唯足を知る」(われただたるをしる)ことができます。
 院長として開業して軌道に乗り始めると、ある意味、御山の大将になってしまうような気がします。自分ではなかなか御山の大将を認識できませんし、スタッフを始め周りの人も遠慮して注意してくれません。そんなときに、お稽古が生活の中に組み込まれていると、お稽古や、スポーツ大会のたびに「吾唯足を知る」を知らしめてくれます。
 また、開業していると、拘束時間が意外と長いこともあって、他業種の人との交流も疎遠になりがちです。ひとたび、疎遠になってしまうと、井の中の蛙大海を知らずにおちいってしまします。
 以上のように、いろいろな意味で「吾唯足を知る」を自覚でき、なおかつ自己投資にもなる、お稽古。新世紀になったのを機に始めてみられてはいかがでしょうか。



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