デンタルエコー vol.122
2001年02月25日発行

連載●第3回


適切なスタートとゴールを決め、
それに必要なベクトルを持つ


 前回、システムづくりのお話をしました。今回はシステムをつくるにあたって必要となる、「スタート」と「ゴール」、その間を結ぶ「ベクトル」について話してみましょう。
 ベクトルとは、高校の数学で勉強したあのベクトルです。「大きさと向きを有する量。力・速度・加速度などはベクトルとして表される」と広辞苑には書いてあります。

登山口と頂上を結ぶルート
 山登りを例に考えてみましょう。まず、どの山に登るかを決めなければなりません(これが向き)。次に、山頂にたどり着くためにはどのコースを選び、どのような登り方をするのか(これが大きさ)。それぞれの経験や体力、目的に合わせていろいろな山や、登り方が考えられるでしょう。
 登山口と頂上の間を結ぶいくつかあるルートの中で、自分にあったルートで登る。そのルート選びとルートを踏破するために必要なこと、体力や経験、情報や装備などを備えることが、ベクトルを持つということです。

システムの方向性を見極める
 もう、かなり前のことですが、熊本駅がリニューアルしたときのキャッチコピーが「通過する場所から、時を過ごす場所へ」でした。
 また最近では、あるコンビニエンスストアーは、「ものを売ることから情報を提供することへ−ものを売ることよりも人に足を運んでもらうことへ」方向性を設定したそうです。人が足を運んでくれれば、自ずとものは売れる、ということです。
 このように、何かシステムをつくる際には、その方向性=ベクトルをきちんと見極める、もしくは仕掛けることが必要になってきます。
 ベクトルには、その方向性と進むスピードがありますので、きちんとベクトルを持つことは、効率の良いシステム作りには必要不可欠と言えるでしょう。

異業種に見るベクトル
 1993年の幕張メッセであった東京モーターショウでのこと。その時に、メルセデスベンツのAクラスや、ポルシェのボクスターが発表されたと記憶しています。会場をぐるっとひとまわりして見ると、人気の有無は一目瞭然でした。やはり人気のあるブースは外国車、特にヨーロッパ車のブースでした。
 自分勝手に分析してみますと、人気のブースのテーマは「優しさと美しさ」。優しさとは、人に対する優しさと、環境に対する優しさのふたつ。美しさとは、ただ単に美しいということ。自分にあったサイズ、決して大きすぎない、パーソナルユース、安全対策などが人に対する優しさ。製造過程から環境に優しい、燃費がよい、リサイクルを考慮しているなどが環境に対する優しさ。ポルシェなどは、他のことはさておき、まずはただひたすら美しい。
 各ブースでもらったパンフレットにもベクトルはありました。ベンツやBMWは「車とは個人が・・」とパーソナルユースをベースに考え、ボルボだけが「車とは家族が・・」とファミリーユースをベースにしていました。
 モーターショウに展示してある車は山頂で、近所のディーラーに展示してある車はその山の麓、登山口になるわけです。
 別の例を挙げますと、家庭画報はモーターショウで、週刊誌は近所のカーディーラーです。家庭画報などの分厚い月刊誌は、早いときは2ヶ月先の号のこともあります(8月末には10月号が手元に届くこともあります)。週刊誌は早くても二週間前くらいでしょうか。家庭画報には、泊まりたいと思ってもちょっと無理かなという旅館やホテルが載っていますが、週刊誌の情報は今度の出張ですぐ使えそうなものです。家庭画報の写真はどう見ても今年の桜ではなく、去年の桜の写真です。言い替えれば、1年以上も前から準備している記事の内容や写真と言えるでしょう。

ニーズは今ここに ディザイアは3〜5年後
 では、東京モーターショウと地元カーディーラーの違いは? 分厚い月刊誌と週刊誌の差は何か? それは、求める側の違いです。すなわち、そこに求めるものが違うのです。それは、ニーズ(needs)とディザイア(desire)です。
 ニーズとは「必要性」であり、ある意味では最低限の必要性。
 ディザイアとは「欲望」であり最低限プラスアルファーの要求とも言えるでしょう。
 お腹が減ってとりあえず、お腹を満たすために駆け込む定食屋さんがニーズとするならば、空腹を満たすこと意外に、しっかりとした目的を持って席に着くフランス料理店がディザイア。
 パリコレクションやミラノコレクションに登場する服は、本当にこんな服が着れるの?と言いたいくらい現実とかけ離れていることもあります。パリコレの服がディザイアとするならば、GAPやユニクロの服がニーズでしょうか。
 ニーズが山の麓で、ディザイアが頂上です。
 ニーズが今ここにあり、ディザイアが3年後、もしくは5年後くらいにあるのでしょう。ニーズがスタート地点で、ディザイアがゴールといえましょうか。

ディザイアは努力目標
 いえいえ、ニーズは必要だけど、ディザイアは必要ないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。では、ディザイアを努力目標と考えてみてはどうでしょうか。小学校の時に毎週黒板の端に書いてあったあの努力目標です。
 医療従事者側にも努力目標は必要ですし、患者さん側にも必要でしょう。「8020」などは国あげての努力目標ではないのでしょうか。
 脚下を看よ、という禅語があります。脚下を看てニーズを把握し、ディザイアを選ぶ。そのあいだをつなぐものがベクトルです。
 明確なスタートとゴールがなければ、どんなにがむしゃらに走ってもそれは無意味です。明確なスタートとゴールがあっても、世の中のニーズやディザイアから、はずれていたらこれも徒労に終わります。
 適切なスタートとゴールを決め、それに必要なベクトルを持つ。これは必要なことではないでしょうか。


ちょっと気になるあの仕掛け −3−

音楽

 今回は音楽について。音楽といってもBGM(background music)のことです。
 ニコラ・シカの開業の時に、迷って決めかねたことの一つに、音のことがありました。診療所内の音量はどれくらいがベストなのか?いろいろな人に聞いてみて、その答えは「調整できること」でした。
 実はもう一つ、決めかねたことがありました。それは照明です。光量もさることながら、照明器具の発する熱です。この熱に関してはカタログではわかりません。結局、秋葉原に行って実際に手をかざしてみてやっとわかりました。
 さて、適切な音量はそのつど調節するとして、音楽そのもの、何を流すのかが重要です。いろいろな音楽を流してみました。歌謡曲、演歌、クラシック、ジャズ、落語に至るまで。好き嫌いは人それぞれです、働く人の好み、来院する人々の好み。ある程度流してみて感じたことは、次の三つのことです。

@ 流せるジャンルは、せいぜい10程度。400チャンネル以上ある設備はあまり必要なく、使える数はせいぜい10チャンネル程度でしょう。

A バイオリンよりもピアノやボーカル。個人的にはバイオリンも好きなのですが、バイオリンの高音部は耳にきつく、その点、同じ高音部であってもピアノであればそれほど耳にはきつくないような気がします。

B 時間帯や待合い室の状況をみてかえる。ニコラ・シカは、午前中は年輩の方が多くクラシックを、昼からは中間層が多くポップス、夕方は学生向けに歌謡曲と、時間帯でかえています。また、面白いもので、夏休みに待合い室が子供たちでざわついたときなどは、クラシックにすると静かになります。また、個人的な好みですが、義歯関係の治療の時にはクラシックを流します。

 ニコラ・シカでは比率的に外国人女性ボーカルの曲が多いようです。もちろん、CDもかけます。好きな曲や、ヒットしている曲、カラオケで歌うための練習曲など。そのCDを選ぶにあたって参考にしているのが、カクテルバーのマスターの御意見。そのバーに行くと、酔う前に、まずはオススメの曲をマスターに聞いてメモします。カクテルバーはリラクゼーションする場です、当然そこに流れる音楽は吟味してあります。
 日本語のボーカルもいいんですけど、口ずさむまではないにしても、つい聞いてしまいます。聞いていたら仕事になりません。外国語、特に英語の女性ボーカルなら耳に優しいし、聞き流せるし、ときたま英語の練習にもなるし。今度バーに行かれたら、お酒に酔う前に、音楽に酔ってみてください。



少・年・易・老・学・難・成

【その3】散歩に学ぶ


 ニコラ・シカまでは片道約5キロの道のりです。その日、仕事のあと特に何もなければ、歩いての徒歩通勤です。歩くようになってあることに気付きました。
 坐る(坐禅など)ことは、反省や分析、瞑想に向いており、歩くことは、発想やプラス思考に向いているということです。そしてその中間的な行為が、車の運転です。
 当たり前のことですが、坐っているということは、身体の移動はありません。また、後ろ向きに歩くことは可能ですが、普通は前向きに歩きます。つまり、歩くという行為は前向きに物事を思考すること、頭の中を前向きにすることです。ここで、北嶋廣敏著『散歩礼賛』のなかを、ちょっと散歩読みしてみましょう。

散歩の由来…奈良の正倉院は薬物も所蔵しており、そのなかには鉱物薬(石薬)も多くある。天皇や権力者たちはそれを不老長寿の薬として服用した。その石薬の製剤の一つに、五石散というのがある。この五石散は服用すると、すぐ効果がでてきて身体があたたまってくるらしく、それを散発といった。この散発が少ないと毒が身体のなかにこもってしまい、かえって毒になる。そこで散発を早めるために石薬を服用したあと歩き回った。それを散歩と称した。

キルケゴール…いくつかの部屋に紙とインクを置き、部屋から部屋へと歩き回り、考えが浮かぶと歩みを止め書き付けた。こうして、多くの著作を生み出した。

ルソー…徒歩は、何かしら、私の思考を活気づけ、活発にするものをもっている。ひとところにじっとしているとき、私はほとんど考える力をもたない。私は歩きながらでなくては思索できない、立ち止まるともう考えてはいない、つまり頭脳は、足と同時でなければすすまないのだ。

アリストテレス…彼とその弟子の哲学者たちが、なぜにあんなにもすばらしいインスピレーションに恵まれていたのかは、サンダルを履いて歩き回ったからである。

ひらめきの散歩…ヒトは二本足で歩くことで、サルから分かれて進化し、サピエンティア(知恵)をもつに至った。直立して歩くことでヒトはヒト、すなわちホモ・サピエンスになった。ならばもっと歩けばサピエンティアはさらに高まるのだろうか。歩くことは脳を活性化するという。その証拠に、歩いているうちに考えがまとまったり、何かのひらめきを得たりすることがある。真偽のほどは定かではないが、ニュートンは庭を歩いていたとき、林檎が木から落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したという。ひやかしの散歩−「歩」という字を分解すると、「止」と「少」になる。少し止まる、歩きながら立ち止まる。路傍の花に気を取られ、じっくり眺めるだけの余裕がなければ散歩ではない。

 いかがでしょうか。足は第二の心臓であると、良く言われますが、足と言うより、歩くことによって身体全体のいろいろな流れが活性化され、めぐりが良くなるのではないでしょうか。パスカルが「パンセ」の中で人間は考える葦であると言っていますが、まさしく、「人間は考える足をもつ」と言えましょう。

参考図書/「散歩礼賛」北嶋廣敏 太陽企画出版 1993年



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