歯科技工 第9号 平成11年9月1日発行

 長月 1999/09 「天高く舌肥ゆる」−舌は何でも知っている



まだまだ日南は残暑厳しく、秋風が吹くまでにはもう少し時間がかかりそうです。とはいえ、空を見上げるといつのまにか入道雲から鰯雲になり、天も高くなってきました。
「天高く馬肥ゆる」、ついでに「舌も肥ゆる」秋−舌は何でも知っている。今月は舌についてのお話。

さて、今年の夏休みはいかがでしたか。筆者は数年前に夏休みを使って富士山に登りました。そのツアーの名前がなんと「一生に一度富士山登山ツアー」。富士山に関しては「一度も登らぬバカ、二度登るバカ」という言葉があるそうですが、古来、登山の際に唱えると良いといわれる呪文が『六根清浄(ろっこんしょうじょう)』です。
実は筆者、趣味で坐禅に行きます(和尚さんには怒られそうですが)。坐禅にはいる前に般若心経と白隠禅師坐禅和讃を唱えます。その般若心経の中に“歯”の文字はありませんが、“舌”の文字は出てきます。眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)、これすなわち六根です。
昔、週刊誌に「考える舌」というタイトルのコラムがありました。また最近「舌の寄り道」と言う本を読みました。さらに別の本に【氷菓ごときに突出す舌の力かな 三橋敏雄】という俳句を見つけました。
少々前置きが長くなりましたが、臨床に携わっていると、なにかしら舌の独自性、独立性みたいなものを感じます。食べるときには舌自身が味わい考え、お腹がすくと舌自身がアンテナとなってうまいもの探し、食べ物があると箸より先に舌が出て、アイスクリームが目の前にあればかってにすくい取る・・・。“mother tongue”といえば母国語。「舌がすべる」「舌が長い」「舌が伸びる」「舌が回る」「舌三寸に胸三寸」「舌を出す」「舌を鳴らす」「舌を振るう」「舌を巻く」などなど、諺も数多くあります。舌には魂があるため、言わなくともよいことをつい言ってしまい、舌禍を招く。とにもかくにも、舌はゲゲゲの鬼太郎のお父さんのように、身体の一部分でありながら、遊離して一人歩きしているような気がします。
このようなことを強く思ったのは、完成総義歯セットの時でした。咬合採得、試適、再度咬合の確認をして義歯を作り、いざ完成義歯のセット。見事にファーストバイトで下顎が後退してしまう。横田亨先生のおっしゃる“咬合のよみがえり現象”です。「ファーストバイト、すなわちその完成義歯の最初の咬合において、義歯作製中のバイトとは異なる咬合位になる」、修行中の歯科医にとってこれはショックです。自分の採ったバイトが明らかに違うことがセット時にはっきりするわけですから、院長先生からは白い目で見られ、患者さんには疑いの眼差しをむけられます。
そのときに考えました。不思議なことがあるものだと。咬合採得時と完成義歯セット時と何が違うのか?これは簡単です。患者さんの口腔内に入っているものが違います。咬合床と完成義歯。ではこれらのちがいは何か?形態も若干違うでしょう。しかし一番異なるのは、舌が接触する面の性状ではないでしょうか。完成義歯はツルツル、咬合床はガサガサです。これらの情報はいち速く舌を通して脳に送られ、ガサガサ咬合床は異物、危険物として受け入れがたいものとして認識されます。これでは患者さんはリラックスできません。すなわちよりよい咬合位は採得できないわけです。これ以来、たとえ咬合床であってもきちんと研磨するようになりました。「風景の中の思想」という本に次のようなエッセイが載っていました。

【鼻は一番前についている。仲間のにおいか敵のにおいか、食べ物なのか何なのかをいち早く判断するためである。
舌は味を感じるようにできている。そして、かなり強い力を持っている。口の中に入れた物が毒を含んでいると感じたとき、勢いよくはじきだすためである。
人間は文化を作って、香りや味を楽しむようになった。本来生きるために必要だった機能を楽しむための機能に変化させたようだ。
自然の微妙なバランスが崩れだしてきた。恵みの雨も酸性雨となって草や木や花に降るようになった。永い間、人間が楽しんできたつけが、一挙にまわってきているようだ。】−同感です。

またもう一つ考えられるのが舌尖部の位置です。四畳半一間に炬燵の学生時代、真向かいに誰か入ってくると、足を縮めたものでした。このように下顎咬合床が厚すぎると舌は縮んでしまいます。その反動で下顎が前方に出てしまうのです。スキーであれば、方向を変えるときにストックでちょんと雪面を突きます。歩くときは、まず杖でちょこんと地面を突いてから次の一歩を進めます。口腔内であれば、まず舌先(舌尖部)を下顎前歯部の舌側面に付けてから閉じ始めます。下顎前歯が最後まで残存しやすいのは舌のレストポジションを最後まで確保するためなのではないでしょうか。
義歯当たりで疼痛を訴える患者さんに、粘膜調整剤を義歯に付けると、次回来院時に「味噌汁の味が変わった」と言われることがあります。「そうでしょう、粘膜調整剤の味は結構きついから、済みませんねえ」と答えると、意外にも「いえいえおいしくなったんです」との答え。「痛いときは何を食べても砂を噛むようなものでした。痛みが無くなると同じ味噌汁なのに、おいしいのなんの」と。患者さんにとっては、おそらく“ガサガサ”や“痛い”の情報が味よりも先に脳に伝達されるのでしょう。このためいくら後から“おいしい情報”を送っても、もう脳が受け付けない、もしくは脳まで届かない。痛みが消えると、交通渋滞が解消するかのようにすうっと美味しい情報が流れる。
このように舌は、その人自身が明瞭に頭で認知していない情報であっても、しっかり把握しているような気がするのです。義歯研磨の際、ごくごく小さな研磨ミスは目で見てもわかりません。指でなでてもわかりません。しかしこっそりなめてみると、すぐわかります。人知れず「舌はなんでも知っている」、やはり舌の働きには舌を巻かざるおえません。「なめたらいかんぜよ」と聞こえてきそうです。

●参考資料
  般若心経の世界 金岡秀友 日本文芸社   1997
  舌の寄り道   重金敦之 TBSブリタニカ 1998
  現代俳句歳時記 飯田龍太 新潮社     1993
  風景の中の思想 河北秀也 ビジネス社   1996



今月の義歯食 「のたいも」
のたいも
*材料
里芋 500g(中ぐらいを7個くらい)
蜂蜜 大サジ2
味噌 25g
胡麻 完全にすりつぶしたもの大サジ2
山椒 葉を適量
“芋金(いもきん;さつまいもを用いた料理)”も義歯食メニューにあるのですが、作るのに結構手間暇かかりそうなので、日南の郷土料理の一つ“のたいも”をご紹介します。
“のたいも”の芋は芋名月の芋、里芋です。

→応用編:しゃぶしゃぶ用の豚肉を胡麻油で炒めたものを加えても美味。

  1. 里芋を茹でる
  2. 里芋の皮を剥き、全体の1/3くらいの量の里芋をすりつぶし、蜂蜜、味噌を入れよく混ぜ合わせ、最後にすり胡麻を入れて混ぜる。これが“のた”
  3. 残り2/3の里芋を半口から一口大に切り、2)の“のた”をかける
  4. 好みで山椒の葉を添える


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