no.57
2006/04
「ごはん粒よく噛んでゐて桜咲く」

桂信子 [1914 俳人 大阪生まれ]


「一澤帆布店最後の日」

 去る三月は関西出張でした。これはその時(3/4)のお話。お茶を習うカルノにとって、いつ行っても京都はいいものです。大きな大きな茶室に身を置くような気分になるのです。お昼に鳥岩楼の親子丼に舌鼓を打ち、北野天満宮で梅と牛を見て「老松」で棹物「東風ふかば」を購入。お茶ならやはり「一保堂」と、嘉木(一保堂店内)で今まで見たことのないくらい美しく点てられた抹茶を頂き、さすが一保堂とうなりました。会計の時ふと「そういえば一澤帆布店は近くではなかったかしら」と思い尋ねると『電話で聞いてみます』『今日が最後で、6時まで開いているそうです』との答え。それを聞いて「すわ!一澤へ」
 店に着くと長蛇の列。並びながら過去の来店を思い起こしていました。最初は1990年の利休さんの没後四百年の展覧会で来た時のこと。その頃はまだ以前の建物でした。その後訪れた時には、新しく建て変わっていました。三回目は目的あっての訪問。1994年に大阪の「馬場万」で革製のトランク(寅さんが持っているようなトランク)をつくってもらい、このトランクを入れるカバーをオーダーしようと思い訪れました(このようなリクエストを一澤帆布店が受けてくれるかどうかもわかりませんが・・)。ところがガラス戸には「忌中」の張り紙。「縁がないのかなあ」と思いつつ「いづう」へと足を向けました。ご不幸の後いろいろとあって今回の「閉店」になるとは、その時、知る由もありません。
 「茶、一つを保つように」との山階宮様からの言葉で「一保堂」の名が付いたと聞きます。一つを守り続けることがいかに難しいかは、自身の仕事を振り返ってみても想像は容易ですが、ものづくりに興味を持つカルノにとっては、かなりショックでした。しかも伝統と歴史、職人気質と贔屓が連綿と息づく京都においてのことですから、かなり応えました。悲しいことです。3/4に買った鞄のポケットにはお守りとして、一澤帆布店最後の日付の入ったレシートを入れています。
 その後3/13付けで新工房がスタートとの報。スタートしたとは言えすぐさま「一路順風」とは行かないでしょう。新ブランドは「信三郎帆布」。「帆」の字があるからには必ず「順風満帆」になる日が来ると思います。京都に行かれる際には、是非!
「信三郎帆布」
http://www.ichizawahanpu.co.jp/
(クリックすると大きな画像が見れます)

一澤帆布店の鞄



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