no.53
2005/04
「たんぽぽのサラダの話野の話」

高野素十[たかのすじゅう:1893-1976 茨城県生まれ 俳人]


花ふぶき

 小学4年生か5年生の国語の教科書に「さくら」にまつわる詩が載っていました。詩の題名も、作者も、詩の一節も覚えていません。記憶にあるのは「さくら」「駅」「花びら」くらいなものでしょうか。
 実は、この詩の存在そのものが完全に頭の中から消えていました。ところがある時、ふと思い出しました。一度思い出すと気になるもので、大きな本屋に行けば、詩集コーナーで立ち読みしたり、ネットで検索したりするものの、いっこうにそれらしい詩と再会できず十年以上も探していたでしょうか。それが今から二、三年前のこと。まさしく陽水の夢の中への歌詞のごとく「探すのをやめた時 見つかることもよくある話で」・・。
 診療所の近くに飫肥(おび)駅があります。駅舎の横には別棟でトイレというより便所があり、用をたそうとはいりました。臭い、暗い、汚いなあと思いつつ足を踏み入れると、近くの小学生が奉仕活動で掃除等をしているのでしょう。奥のセメントの壁に、いかにも小学生の字で書いたポスターが貼ってあります。ふと目をやると、なんと、なんと、その詩が書いてあるではありませんか。まさしく灯台もと暗し。それは「花ふぶき」という詩でした。

 「花ふぶき」     阪本越郎

 さくらの花の散る下に、
 小さな屋根の駅がある。
 白い花びらは散りかかり、
 駅の中は、
 花びらでいっぱい。
 花びらは、男の子のぼうしにも、
 せおった荷物の上にも来てとまる。
 この村のさくらの花びらをつけたまま、
 遠くの町へ行く子もあるんだな。
 待合室のベンチの上にも、
 白い花びらは散りかかり、
 旅人は、花びらの上にこしかけて、
 春の山脈をながめている。


 この飫肥駅のホームのベンチに腰掛けて飫肥の山々に目をやると、まさしく、この詩です。飫肥の山桜は、例年三月中旬頃に見頃となります。チャンスあらば、是非!最後に、素十の句をもうひとつ。

    空をゆく一とかたまりの花吹雪   素十



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