一生モン
皆さん、今年の花見は如何でしたか。冒頭の句の「花見箪笥」。本によると『・・見事なものだった。大きいものは蜜柑の段ボール函ぐらい。小さいのはその半分か四分の一。・・四角にきちんとまとまっているが、ばらすと、五つかさねのお重が出て来る。お酒の入る容器、おとり皿、とひと通りの道具とご馳走が並ぶようになっている。・・一家が花見に行くとき、これに食べもの、酒を詰めて持参するのだ。名付けて、花見箪笥。・・』昔の人の心意気、優雅さでしょうか。
さて、この花見箪笥もその家の一生モンでしょう。近頃読んだ「一生モン」という本には、次の三つに定義されていました。(以下本より抜粋)
『まず第一に長持ちすること』
- 今、腕時計はクォーツが主流ですが、この電池がいつまで供給されるかという心配がある。旧式のゼンマイ式ならネジを巻きさえすればいつまでも動き続ける。
- 長持ちするということは、そのモノとのつき合いが深まり、そんなモノをなくしてしまうと思い出も一緒に消えてなくなるような気がする。
『愛用とは修繕することと見つけたり』
- 「オヤジの形見のカメラ」という話をしたけれど、自分が死んだ後も子供や孫が大事に使ってくれたら有り難い。だって、愛用品が自分の分身だとしたら、それが子や孫が使うことで生き続けるようなものじゃないですか。
『どんな時もいかなる場合も裏切らない』
- 少し堅い話をすれば、大切なのは「関係性」なのね。・・自分を支えてくれる家族や友人、仕事仲間と良い関係を持つことが、人生の豊かさとか幸福の大きさにつながるんじゃないか。モノとの関係も、また、単に所有しているだけでなく、いかに使いこなしているか、どれほど恩恵を受けているか、心から愛着を感じているかという関係が大切なんです。
ここまで読んで頂ければ、もうお分かりと思いますが、あなたの持つ一生モンの中に「歯」があります。加えて、関係性の片隅にでも「歯医者」を加えて頂ければ、幸いです。
参考文献
「食べもの俳句館」 草間時彦 角川選書
「一生モン」 東理夫他 講談社
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