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「私は、ネクタイを贈られたらすぐに送り返す。他人が選択したモノを身につけるということは、他人の(自分に対する)イメージを受け入れ、そのイメージ通りに振舞う行為に等しいからだ。趣味を無理やり押しつけられている行為に何も感じない男は、ダンディには決してなり得ない。」(27頁から) この著者は、このようにズバリ言い切ります。これが原理原則であると言わんばかりの一家言です。 「『優れたデザインは98%の常識と2%のマジックから成立する』と云ったのは、『ザ・コンランショップ』の経営者として知られるデザイナーのテレンス・コンラン卿(英)である。腕時計を選択するときは、2%のマジックを優先してはならない。基本のキだ。」(84頁から) ここまで、はっきり言われると、反論できません。反論すると「だからダンディになれないのだ」と言われかねません。読み進めると、物理の公式のごとくに、ダンディズムの公式が出てきます。読み終えたときには、気分だけダンディ。 おかわりには、全く別次元の絵本です。青二才のそら豆君が、最後にはちょっとダンディに……。 |
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落合正勝さんは『ダンディズム』のなかで「集中すれば新たなモノが必ず見えてくる。何にせよ私は真剣に取り組んできた」とおっしゃっています。特に、食べることにダンディズムを求めている人が、この方、嵐山光三郎さんだと思います。 「『最後にこれを食べてくださいな』と、大トロの筋のつけ焼き握りをカウンターに置いた。神崎は立ちあがりながら口に入れ、『う、』と声を出した。寛が神崎の顔を覗き込み、『うまいでしょう』と言った。『う、う、う、うるせえや』と神崎は声をあげ、玄関の戸をピシャンと閉めて歩き出した。歩きながら神崎は、死んだ浜岡健の顔を思い浮かべながら、『うまい!』と声を出した。」(115,116頁から) 洋服など、身につけるモノは結構値が張りますが、日頃食べるものとなれば、ピンからキリです。そこで、真剣に食べる。真剣に選ぶ。限りあるお金と時間を、こだわって使うことが、ダンディへの近道のひとつのような気がします。「ダンディになるためには王道はあっても、近道はない!」と、落合氏の声が聞こえてきそうですが……。 おかわりも嵐山さんの本です。この本を手に、大和寿司に行きました。並んでいる間に、じっくり読みました。やっとカウンターに着き、食べているうちに、うまい理由がわかりました。江戸前寿司を築地で握ってもらい、大将の江戸弁を聞きながら、食べる。もちろん「う、うまい!」。 |
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