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テレビドラマ「金八先生」の最終回を友人の下宿で見て涙して、先輩にからかわれたことを覚えています。主人公たちと同世代だったので、共感深かったのでしょう。たのきんトリオも今は昔。彼らは立派な大人になったのでしょうか。生徒は成長しても、不思議と年をとらないのがわが師の恩。やはりあおげば尊し。 「流儀があるとすれば、すべて自分が基本となる」(13頁から) 「ストレスを思いっきり解放して、その真ん中に残っている心棒、それが自分なの だと、しっかり掴んで放したらいけないよ」(16頁から) 「ビジョンなくしてなんの青春、なんの人生だ」(29頁から) 「いつも自分の中の神と対話しなさい。これでいいのか、他人はそうするけれど、 自分はこうあらねばならないのではないかと。それが大人になっていくということ です」(44頁から) 「何度も繰り返すから、すべてが消化される。そしてきみたちの記憶の金庫に収 まる」(120頁から) 「こどもというのは、だんだん親の思うようにはいかなくなる。それが成長というも のです」(151頁から) 「卒業式とは、やっぱり旅立ちなんだね。それぞれ自分の頭で考え、自分の足で 踏みだそうとしているよ」(159頁から) ちょっと苦めのコーヒーと一緒に、どうぞ。 |
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今年は武蔵の年のようですね。私たちが抱いている武蔵に対するイメージは、実在の人物のものというよりも、いつの間にか、吉川英治ワールドの中の武蔵のイメージになっているようです。 「文武二道というが、二道とは、ふた道と読むのではない。ふたつを備えて、一つ道だよ。――分かるか、武蔵」(23頁から) 「すべて、むずかしいことは、存外、やさしく、やさしいと見えることが、実は非常にむずかしいもの。」(30頁から) 「小さい望みしかもたない人間に、大きな働きを求めても無理である。大きな精神を把持させなければ、大きな労力の効果と能率はあがる筈がない。」(123頁から) 「一飯の尊さは、一粒の米でも一茎の野菜でも、自分で栽(つく)ってみて初めてわかることである。」(193頁から) 文武の「文」を知識、「武」を技術と読み替えたら、まさしく、われわれの仕事です。 大人の師でもうひとり忘れちゃいけないのが、寅さんです。実はカルノ、45作目「寅次郎の青春」にエキストラで出演しました。 「でもだけどね、レントゲンだってね、ニッコリ笑って映した方がいいの、だって明るく撮れるもの、その方が。」(124頁から) |
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