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手品師が種明かしをする心持ちです。このカフェに登場する、多くの俳句はこの歳時記から、見つけています。もともと、1996年7月1日にネットでスタートしたこのサイトが、昨年、本になりました。カルノの朝は、このサイトへのアクセスから始まります。ぜひ、本家本元にもアクセスしてみてください。ちなみに、拙ホームページも厳選リンク集に顔出しています。 掲句も登場するおかわり本は、グリコ以上に味わい深いものです。 「子供の生活行動をよく観察していると、食べることと遊ぶことが二大天職のように思える。食べながら遊び、遊びながら食べている。どちらか一方だけでは満足しない。つまりオヤツとオモチャの世界に住んでいるのである。子供にはオヤツとオモチャは切り離せない。手元になければ、あらゆる工夫をして自分たちでつくり出している。」(17頁から) 「グリコ ヒトツブ エクボガ フタツ」 「マダアル グリコ オトガ スル」(158,159頁から) では、グリコ片手にこの本どうぞ。 清水哲男『増殖する俳句歳時記』ホームページはこちら |
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俳句にちなんで、もう一冊。ただしこの本は、俳人の作った俳句ではなく、俳人の語った名言集です。 「心の作はよし、詞の作は好べからず――芭蕉」(61頁から) まさしく、おっしゃるとおりという気がします。 「薄と軽とは違あるべし――去来」(56頁から) 軽薄という言葉はよく耳にしますが、彼らにとっては、別物なのですね。 「きのふの我に飽べし――芭蕉」(33頁から) 大人虎変すとは、このことでしょうか。虎変するためには、 「名人はあやふき所に遊ぶ――芭蕉」(43頁から) となるのでしょう。“あやふき”とは、意味深ですが・・。 「俳諧といふは別の事なし。上手に迂詐をつく事なり――芭蕉」(93頁から) もちろん、嘘とは意味が違うのでしょうが。 「色をおもふ事は、うどんを見るがごとく、義を守るものは、唐がらしの辛に類せよ――芭蕉」(147頁から) 芭蕉とは、かなりの哲学者であったようですね。 おかわり本も、種明かしの本です。先月1月号の俳句も、この本で見つけました。蛇足ですが、あの俳句の読みは「すみ、たくさん。すみび、たくさん、もったいな」です。 けっこういける口だったといわれる芭蕉に敬意を表して、熱燗でも。 |
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