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御紹介した虚子の句を目にしたときに、なぜか除夜の鐘を撞く撞木(しゅもく)を連想しました。正しくは「去年今年(こぞことし)」は新年の季語となっています。しかし、カルノは年末になるとこの句を思い出します。今年できなかったこと、今年果たせなかったこと、来るべき新年に持ち越す課題・仕事。もっともっと大きな信念や目標。 そのような思いを「かたち」にするなら、この撞木でしょうか。 おかわり本の「はじめに」のなかで高森さんは次のように書いています。 「ものを作る側の後継者不足は言われ続けているが、使い手の立場にある私からみれば、『使い手の後継者』も不足しているのである。 (中略) そして日々の暮らしの中できちんと使い続ければ、自然なかたちで次代に渡していけるのではないかと思っているのである。」(12頁から) |
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ある時、後輩から「センスを磨くコツは?」との質問。その答えは「こだわること」この一点。最近のこだわりは醤油とごまだれ。 「懐石料理を作る台所を、見せてもらった事がある。 余計なものが何も無くて、使い込んだ鍋や釜が綺麗に並べられていた。 何十年も前から、道具は増えも減りもしていないと言う。 昔ながらのやり方で、手間と時間をかけた究極の懐石料理が出来上がるのだ。 あんな美しい台所は見たことがない。」(あとがきより) おかわり本のプロローグには、「たかが食べ物。でも、本当においしいものには威力がある。どんな悲しいときにも、おいしいものを食べると元気になるし、幸せな気持ちにさえなれるのだ。」(5頁から)と、あります。この意見に大賛成。 おいしい料理と除夜の鐘で、みなさま、よいお年を! |
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