ものづくり名手名言 歯科技工 平成14年12月1日発行

連載終了記念特別インタビュー
手から手へ ―教外別伝 不立文字―
※(きょうげべつでん ふりゅうもんじ)禅宗の言葉で心から心へ伝えること
                  Interviewee 河野 秀樹




河野 秀樹 かわの ひでき
1961年宮崎県生まれ。1990年宮崎県日南市に桜歯科開業、現在に至る。1999年1〜12月 『歯科技工』に「義歯は人伝」連載。2000年1月〜2002年11月 同「ものづくり 名手名言」を連載。昭和63年春より茶道(裏千家)を習い始める。平成元年より相国寺派の禅寺に参禅。
桜歯科
〒889-2541 宮崎県日南市あがた東10-5-27
HP:http://www.connote.jp/ / E-mail:sacra@connote.jp

 ご好評いただいておりました「ものづくり/名手名言」は、連載第26回(30巻11号)をもちまして、終了いたしました。足掛け3年、インタビュアーの河野秀樹先生は、世界中を飛び回り、多くの“ものづくり”の方がたへ、お話をうかがっていただきました。
 今回は「連載終了記念特別インタビュー」と題し、“ものづくり”の方がたの共通点、そして「ものづくりとは何か?」といった核心について、取材時のエピソードなどを交えてお話しいただきました。(編集部)

全26回に及ぶ長期連載、改めてお疲れさまでした。

 第1回目の前書きに書きましたが、「“ものを作ること”にこだわり、それをこよなく愛していひとたちと、“ものづくり”の楽しさ・厳しさ・難しさ などを共感していただければ」というのが、連載の主旨でしたが、ある程度は 達成できたかなと思います。
 企業の初心などのことを、“へそ”と表現しますが、個人的には、ライターとしての私の“へそ”になった企画です。

“ものづくり”だけに、職人気質をお持ちの方などからは、お話しが聞きづらかったことはありませんでしたか?

 それはありませんでした。むしろ、ほとんどの方からは感謝されましたね。一人で仕事をされている方が多かったのですが、自分の仕事に関してはしっかりとした哲学を持っているのに、他人にそれを話す機会が少ないことがその理由の一つのようですし、それだけに、周囲の人に対しては、常に謙虚な気持ちで接していらっしゃる様子が、感じ取れました。
 また、他人に自分のことを話すことで、改めて自分のこと、仕事のことを客観的に考えることができたと言われたこともあります。

取材に際しての資料集めなどもたいへんでしょう。

 専門的なことについては、ある程度は事前に予備知識として蓄えていきますが、むしろ、茶道を習っていることが、たいへん役に立ちました。独楽の山本貞右衛門さん(第20回)を取材したとき、独楽の色は5色、これは陰陽五行説に基づくものだとすぐわかりましたし、筆の神鳥憲三さん(第13回)のときの書家「顔真卿」も知識としてありました。広く知識を持つことがいかに大切かがわかりました。

“ものづくり”ということで印象的な言葉を挙げてください。

 タウン誌編集長の西みやびさん(第15回)は「“流行”を作っている」、神鳥さんは「筆を作ることが目的ではなく、その筆で何を書くのか」ということが、発想の原点だとおっしゃいました。
 要するに、作っているものは目に見えるものであっても、実はハードではなくソフトを作っているということでしょうか。
 画家の士野精二さん(第6回)の「土を描けずには、その土に生えている木は描けない」、ワイン造りのショパンさん(第24回)の「テロワール(土の性質)が大事」というのも、発想としては同じだと思います。
 歯科技工士さんにしても、ミュタティースさん(第8回)は、組織学をかなり勉強したということをお聞きました。歯科技工士とは、発音や摂食といった目には見えない機能を作るということでは、非常に次元が高く、責任のある仕事であると言えるのではないでしょうか?

その他に共通点はありましたか?

 端的に表現すれば、興味深く、考え深く、頑固であること。ただし、根本に伝統のようにリジットな思想はあるものの、世の流れに逆らわないフレキシブルな発想を持っていないと、どの世界でも生き残っていくのが難しいようです。当然みなさん、高い志をお持ちです。顔写真撮影のとき、コーヒーの森光宗男さん(第14回)は遠くを見ているポーズで、それも常に上を目指すことの表れなのかなと。
 また、意外な言葉が何人かの方から聞かれました。「遺伝子」あるいは「DNA」です。これは単に人に対する感謝の気持ちというだけではなく、もっと自然とか神とかといったものに対する気持ちの表れではないでしょうか。
 現在の職業に就くきっかけ、あるいは決心した時期が、小学校の高学年頃という方が多かったですね。デザイナーの大田黒昭彦さん(第3回)、設計士の日高雅人さん(第22回)もそうですし、スイートピー農家の野崎智光さん(第21回)は中学生のときだそうです。育った環境もあるでしょうが、さまざまな経験や出会いを重ねて、ある些細なきっかけがその後の進路を決定したようです。
 そのきっかけは、たまたま開いた本かもしれませんし、柳田理科雄さん(第18回)のように、独楽が回る理屈を丁寧に説明してくれた方がいたからというものもあります。10代の初めの頃がいかに大切な時期であるかということでは、現在のテレビゲームの世代から、斬新な発想を持ったものづくりが現れるかどうかは疑問ですね。

経験や出会いを重ねれば、一流の“ものづくり”になれるのでしょうか?

 「運」も大事な要素の一つでしょうね。半導体メーカーの阿多利 仁さん(第5回)は携帯電話産業の隆盛を例に挙げ、「社長になるにはさまざまな要素が必要だが、結局は運である」というようなことをおっしゃっていました。チャンスは誰にでも平等にあり、それをつかむ準備ができているかどうかで決まるのだと思います。石橋一真さん(第4回)をはじめ、お会いした半数以上の方の親御さんのご職業は、ご本人の職業とは関係ないものでした。ただそれも、DNAという言葉に象徴されるような、運命づけられたものかもしれませんね。

伝統工芸のようなことをやられている方からは、生き残りのためのご苦労が伝わってきました。

 火箸製作の明珍宗理さん(第7回)は、いざ背水の陣となった時に、天皇から賜った自身の名が音からきていることに気づき、火箸で風鈴を作るという発想が生まれたということです。これは開き直りと運、そして冒頭に挙げたような謙虚な気持ちが導いた結果ではないでしょうか。
 その反面、酒店店主の岡山 宏さん(第25回)は、試行錯誤の末にディスカウント店で大成功したものの、「おもしろくないことをやっていても……」ということで、結局専門店に進路変更したということです。フレンチシェフの斉須政雄さん(第12回)からも、「身の丈の人生」という言葉が聞かれました。
 みなさん、岡山さんのような「おもしろそうなことがあったらやってみる」というのが、まず発想の前段階、前々段階にあり、心の動く方向、自身の感性というものを非常に大切にしているようです。「いまだに鉄腕アトムがいない現実社会より、夢のほうが進んでいる」という柳田理科雄さんの言葉には説得力があります。

最後に、30数名のものづくりの方たちから、歯科技工士が学ぶべき点はありますか?

 みなさん決して今まで順風満帆に過ごしてこられたわけではありません。
 結局は自助努力だと思います。高次元で広い視野を持つことを忘れてほしくはありません。もちろん、ラボを清潔に保つ、白衣のボタンを全部きちんと留めるといった些細なことは、審美を追求する者にとっては当然のことです。
 また、経済的状況が非常に厳しいのはわかりますが、鞄造りの秋山哲男さん(第10回)や岡山さんがおっしゃったように「いいものは多く作れない」ということです。無要なダンピング競争などは、次元の異なることと理解してください。
 割れてしまった陶器を、金箔を使って修復する方法があるのですが、相当高い技術のようで、同じ器でも無傷のものより高い値が付くこともあるそうです。この方法から、現在の状況を悲観せずに、まずは客観的に現状を受け入れて、次にプラスに変化させることを考える。たとえば-3は0を基点にすれば+3にひっくり返るじゃないですか。多くの人は、ちょっとしたトラブルが起きて-3の状態なったとき、+3にしようと思えば、まず0に戻すことを考えます。そうして、さらに+3まで押し上げる。この考え方だと、トータルで6のステップアップが必要となります。しかし、登場された方がたをみていると、彼らは、0を基点にしてくるりと回る。-3が、次の瞬間には+3になっている。これはただ単に、プラス思考というものではなくて、-3に落ち込んだときに、まずはこの-3を完全に受け入れる。受け入れることによって、-3は、実はもう0になっているんです。0になっているから、あれやこれやと考えることもできるし、いろいろな知恵を絞ることもできるんです。いつまでも-3であれば、一刻も早く0に戻すことばかりを考え、よい考えは浮かびませんし、たとえ0に戻ったとしても、またいつ-3に落ち込むかもしれません。彼らのくるりと-3を+3に反転させる方法は、スパイラル(螺旋状)ですから、+3でも数段上の+3になっているわけです。しかし、そう簡単にはいかないよと、たしなめられたこともありますが(笑)。


▲客観的に現状を受け入れ、次にプラスに変化させることを考える

最後に力強いメッセージをありがとうございました。


「ものづくり/名手名言」全26回総目次



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