ものづくり名手名言 歯科技工 第25号 平成14年9月1日発行

第25回 純粋にいいものは、多く作れない
                  Interviewee 岡山 宏(岡山酒店店主)





岡山 宏 おかやま ひろし
1977年鹿児島県立甲南高校卒業。1982年熊本大学工学部合成化学科卒業後、三共株式会社入社。1987年三共株式会社を退社し帰鹿。岡山酒店後継。1990年店舗新築後、ディスカウント店としてスタート。1997年月酒専門店として再オープン。現在に至る。
岡山さんの手→

岡山酒店
〒890-0054 鹿児島市荒田1-16-28
岡山酒店


この道に入られたきっかけは?

 大学進学、卒業、就職するなかで、後を継ぐことはまったく頭にありませんでした。父が病に倒れ、母が看病のため店に出られなくなり、店をたたむか、私が鹿児島に帰って後を継ぐかという、二者択一の岐路に立たされました。その頃ちょうど、製薬会社の仕事が一区切りというか、次へのステップへの移り変わりの時期で、会社の仕事の方向性にも迷いが生じ始めていました。結局、会社を辞め、実家に帰りました。帰ってきた当初、酒類業界のことは何もわからず、流れも全くといっていいほど見えていませんでした。
 幼い頃から、店の様子は見てはいました。当時、仕事帰りのいわゆるオジサンたちが、ビールの箱を椅子代わりにして、店の奥で飲んでは酔っぱらっており、中学生の私にとって、酔っぱらいのオジサンたちは怖い存在でした。ですから、どちらかというと、店のことは、敬遠がちに傍観していたように思います。ましてや魅力ある仕事とは、とらえていませんでした。
 しかし、後継する立場となっては、傍観している場合ではありません。店は小さく、表通りからは、一筋引っ込んでいましたから、まずは当時の配達中心のスタイルでの建て直しを図りました。チラシを作って配るなどして、帰ってきて2年で売り上げを倍にしました。しかし、その後、売り上げは頭打ち、配達時間が夕方の4時から6時に集中することなどもあり、このままでは体も壊しかねない、人員を増やせば集中する配達にどうにか対応できますが、人件費がペイできません。そこで、配達中心のスタイルから、店舗売りへウェイトをシフトできないものかと考えました。

それでディスカウント店にスタイル変更ですか?

 大阪で、流行っている店があると聞き、そのお店を見学に行きました。その店は、当時としてはまだ少なかったディスカウント店でした。定価販売しかできないと思っていた私にとっては、それはショックでした。足早に鹿児島に帰ると、商品の流通、仕入れなどについて勉強しました。実は、この時にもディスカウント店か専門店かと、迷いましたが、すでにその時、市内には焼酎を仕掛けていた専門店の酒屋がありましたので、この立地と小さな店舗で店売りを増やすには、ディスカウントしかないと判断し、1年の準備期間を経たのち、ディスカウント店に衣替えしました。
 スタイル変更にあたり、酒類販売の団体から脱退してのスタートでした。ですから、周りの酒屋をはじめ、団体や卸屋からもクレームがきたり、有形無形の圧力がかかったりしましたが、若かったせいもあるのでしょうか、そのような声には耳を貸さないというか、むしろ自分の店の経営を立て直すのに必死で、開き直っていました。

その後またスタイルを変えられたのは?

 確かに、ディスカウント店に変えて、売り上げは倍々どころか、桁違いで伸びました。またこのスタイルに変えて初めて、時代の流れ、社会の流れ、業界の流れが見えてきました。しかし、ディスカウントを始めて1年経ったところで、早くも私の進む道はディスカウントではなく、酒専門のプロフェッショナルの店だと確信しました。売り上げは伸びたものの、自分にとってやりがいがある仕事なのかどうかを、常に考えていましたから、いくら数字が伸びても本当に楽しくなければ、仕事として魅力は半減しますよね。
 ディスカウント店に変えた当初は、まずは価格だけの勝負だと思っていましたが、次に接客やサービス、チラシのレイアウトに至るまで、チェーン店のディスカウントにはない、個人のディスカウント店としての魅力作りの模索や、工夫をしました。このスタイルをもう少し工夫すれば、このままやっていけるとも思いましたが、逆の見方をすれば、誰でも可能なやり方でもあるなと思ったのです。ですから、ディスカウント店ではなく、専門店に変える準備を始めました。

具体的には、どのような準備を始めたのですか?

 専門店として、まず何を店の顔にしようかと思ったときに頭に浮かんだのがワインです。大学の頃からフランス料理を食べ歩くのが好きだったこともあるでしょう。素人的な発想ですが、ワインならまずは美味しく飲みやすいドイツワインからということで、ドイツワインに力を入れている業者を探しました。たまたま銘酒辞典を見ていて目に飛び込んできたのが「ワインの稲葉」の広告です。その時、何か不思議な縁を感じ、ここだと思い、ワインに対する熱い思いを手紙に綴りました。手紙を出して、1カ月も経たないうちに、稲葉の九州担当の方が、訪ねて来られました。一目見て「ディスカウントのお店なんですね」と、ひとこと。すぐさま、専門店にスタイルを変えるべく準備しているんだと、熱く語ったことを覚えています。それから、稲葉さんとのワインの取り引きが始まりました。ワインに関しては、この稲葉さんとのすばらしい出会いが、すべてであったように思います。
 時を同じく、ワインと平行して日本酒の蔵回りを始めました。新潟と福島を中心にかなりの蔵を回りました。その頃、蔵は日本酒ブームを背景にとても元気がありましたが、一方で、かなり閉鎖的でした。蔵回りを重ねても、なかなか心を開いてもらえず、回り始めて3年目でギブアップ。日本酒については、先延ばしというか、気長にあせらずやることにしました。
 その頃、シングルモルトウイスキーにはまってしまい、ショットバーに足繁く通って、ほとんどのシングルモルトウイスキーを口にしました。その味のバランス、個性、造りのよさを知り、次第に味を感じ取れるようになってきました。
 ストレートでこれだけ美味しい蒸留酒があるのだから、同じ蒸留酒の焼酎にも、うまい芋焼酎があるはずだと思い、まずは「杜氏の里(焼酎の物産館のような施設)」に行きました。そこで、いくつかの美味しい焼酎に出会い、他にもきっと美味しい焼酎があるだろうと思い、芋焼酎の蔵回りを始めました。シングルモルトウイスキーで鍛えたおかげで味を見ることはできましたね。週1回の休みの日を使って蔵を回り、いろいろ勉強させていただきながら、味をみて、造る方の人間性を感じ取りながら付き合っていきたい、そこの焼酎を売りたいと思う蔵を少しずつ増やしていきました。鹿児島県内のみならず、宮崎にも足を伸ばし、会っていただける蔵元はほとんど回りました。蔵回りをしていて、自分の求める味に近いものに出会った時には、至福の喜びを感じますね。
 ワインファンも少しずつ増え、焼酎の品揃えも充実してきて、専門店としての態勢が整ってきたのを機に、ディスカウント店を始めて6年経った1997年に丸々2カ月間店を閉めて、がらりと雰囲気を変えるために店舗改装をして、その年の3月1日から専門店として再スタートしました。

その後は?

 折しも、その年にワインブームがきて再スタートを後押ししてくれました。よいことは重なるもので、そのすぐ後に、焼酎に関してすばらしい人に出会うことになります。
 その人は、焼酎の造り手であり、仕上げ人なのですが、私の求める味と彼が求める味は、全く同じものなのです。焼酎の味というものは、決して杜氏さんが造った味以上にはなりません。しかし、杜氏さんの仕事と同等に、あるいはそれ以上に大事な仕事は、杜氏さんがきちんと造った味が自然と生かされるように仕上げていく仕事なのです。その仕事がその方の役目です。そうして、私にできる最高のことは、原酒が商品になるべく割水され、ビン詰めされた焼酎を可能なかぎり落ち着かせて、原酒と水とがなじみ、味わいを醸し出すまで待って。お客様に売ることなのです。彼との二人三脚で3つのすばらしい蔵を成功に導くことができました。
 本当によいものは、そんなに多くは作れません。よい生産者によって造られた、本当に純粋によいものは、失礼な言い方ですけど、味のわかる人に飲んでほしいと思います。ワインや焼酎を買いに来られた方には、会話のなかでその方の好みや、極端な言い方をすれば、舌の力量を探りながら、選んでいます。初心者の方には簡単にわかるものを、上級者の方には複雑なものを、とでも言えましょうか。ですから、インターネット上で不特定多数の人に、顔も見ずに売ることには、抵抗感がありますね。

毎年のようにワイン生産者に会いに行かれるのも、同じような思いからですか?

 そうです。焼酎の生産者に会いに行くのと同じで、こんなにもすばらしいワインが、誰の手によって、どんなところで、どのような考えのもとに造られているのかを知りたいと思うことは、私にとって非常に自然なことです。加えて、自分がどんなワインを売りたいのか、はたまた売るべきなのか、生産者を回ることによって見えてくるのです。これは言葉では伝えられないし、何回も回っている者にしかわからないと思います。回れば回るほど、生産者の思いや人柄、秘められた味をお客さんに伝えたいと思うし、もちろんその生産者のワインは乱暴には扱えません。次第に、ワインがわが子のようにかわいく思えるようになってきました。本当に人柄は味に出ますから。

岡山氏の最近の訪問地。・・・1996年ボルドー(フランス)。1997年ブルゴーニュ、コートデュローヌ、ボルドー(フランス)。1998年ドイツ。1999年コートデュローヌ(フランス)。2001年イタリア。2002年シャンパーニュ、ブルゴーニュ(フランス。本連載2002.7月号8月号参照)

食事とお酒の相性については?

 ワインの生産者も焼酎の造り手も、食事に合わせて、それぞれの味を作っているのではないでしょう。飲み物も食事も両方、自然な流れのものがよいと思います。 食事というか、料理は食材が全てでしょう、そしてその食材を生かしきるのが、プロの料理人。そのような食事と、その食事に合う、より生命力を感じる飲み物をいただければ、もう言うことはありませんね。贅沢をすると言うことではありません。たとえば、無農薬の農作物でも生産者によって全然味が違うでしょう。いろいろな味や相性のなかで、自分が美味しいと思えるトマトとか大根に出会えたら、このうえない幸福を感じますね。
 大事なことは、こういう食材を意識しながら食べ、美味しく感じる健全な肉体を保ち、そのなかでワインとか焼酎のよいものを見極める能力を保つことです。ですから、今の私にとってお酒とは、健全な肉体と舌のバランスのよさのバロメーターなんです。
 鹿児島といえば、焼酎をすぐイメージされると思うんですけど、確かに、鹿児島の人はよく飲むでしょう。ですが、ただ飲んでいるだけで、本当に味わって飲んでいるかは疑問です。ですから、焼酎文化がしっかり根付いているとは言えないでしょうね。 全国区になった焼酎はいくつもありますけど、その多くは、東京、大阪という、食文化がしっかりしているところで評価されて、言うならば逆輸入された形で、地元鹿児島でも有名になっていますからね。

今後の展開は?

 ワインに関しては、今後もっと語学を勉強して言葉を越えた気持ちのみならず、言葉でも、生産者とより深く触れ合いたいです。味の触れ合いを越えて、人そのものと触れ合いたいですね。焼酎については、もう少し、求めたい味があります。その味を極めるべく、追求したいです。
 自分の気持ちでは、60歳で引退という思いがありますから、若手の酒屋さんのなかに、すばらしい能力を持っている人がいらっしゃるので、自分の得たものを受け渡していきたいと思います。引退したら、秘蔵のワインや焼酎で、気心の知れた仲間と、本当の意味で酒を楽しみたいですね。にぎやかに飲みたいですよ(笑)。

 今回、お店作りをテーマとして、ご登場いただいたつもりでしたが、やはり、岡山さんも“ものづくり”でした。確かに、焼酎造りの一翼を担っていらっしゃいます。 ただし、お話をお伺いして、単にワインや焼酎をお酒としてではなく、造り手の方も含めて、言わばひとつの文化としてとらえていらっしゃると感じました。画商が絵や彫刻を、その画家や作者のことのみならず、文化の流れや時代背景までも踏まえての価値評価をしているのと同じような気がします。それにしても、岡山さんに扱われるワインや焼酎は、幸せ者です。



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