ものづくり名手名言 歯科技工 第22号 平成14年5月1日発行

第22回 1本の線を大事に
                  Interviewee 日高 雅人(一級建築士)





日高 雅人 ひだか まさと
1962年鹿児島県種子島生まれ。1981年中種子高校卒業、1986年鹿児島大学建築科卒業後、鹿児島市内のゼネコンに入社。1988年下舞建築設計事務所入社。現在、同社設計主任。
下舞建築設計事務所:〒892-0828 鹿児島市金生町4-4
日高さんの手→



この道に入られたきっかけは?

 実家が種子島の古い家でした。当時で築25年、現在は築50年くらいになるでしょうか。種子島地方特有の家造りで、風に強い材料を使った、大きな立派な家ではあったんですけど、子供の目から見れば年中すきま風は入るし、それほど見映えはよくない。子供にとって快適な家とは思えませんでした。
その頃、ちょうど今のような家が流行りだした時期で、友だちの家に遊びに行くと、今風の小綺麗な家なんです。それに引き換え自分の家は昔風の家でしたから、妙にコンプレックスのような気持ちを抱いていました。今思えば、家や空間に異常に執着していて、もともと興味を持っていたということでしょうか。
また、小学生の頃、漫画「バビル2世」が好きでよく読んでいました。その中にバベルの塔が出てくるんです。らせん状の道が建物の周りを張り付くように空まで登っていく。さらにその道が、空を突き抜けて宇宙まで届きそうなんです。今でも鮮明に覚えていますけど、そういう建物をつくってみたいと思いました。
中学、高校と地元、中種子の学校を卒業しました。大学進学に際しては、担任の先生から「これからはコンピュータの時代だから、電子学科へ進んだらどうか」と言われましたが、好きでもない分野には行きたくないと思い、やはり、建築の道へ進みました。

大学では何を学びましたか? また、卒業後の進路は?

 専攻は都市計画でした。確かに、友人と信州や北九州へ行って、有名な建物をいくつか見て回りましたが、当時は自分の意匠・デザインには自信が持てず、卒業論文のテーマは「鹿児島市の都市計画・都市構造」でした。
卒業してすぐ鹿児島市内のゼネコンに就職しましたが、約1年ほどで辞めました。現場監督をしながら、何かしら違和感があったんでしょう。
当然、つくる側も大切でしょうが、つくり手は基本的には、設計図どおりにつくるわけです。それならば、自分の会社がつくっても似たレベルの他の会社がつくっても、結局同じものができるのでは、と考えたのです。ところが、設計者が違えば全く違うものができるわけです。そう思い始めると、ゼネコンでの仕事には興味が薄れてしまいました。

その後、現在の設計事務所に入られたわけですね。

 設計事務所に入って初めの2、3年は、金魚のフンのように、先輩についてまわるのが仕事でした。雑用から少しずつ図面描きの仕事に入っていくのですが、何人かの先輩について、もまれながらの2、3年でした。ひたすら先輩方の図面を見ていました。また先輩からは「技はあとからついてくる。まずはよい建物の写真を見ろ。可能なかぎり足を運べ」と、いつも言われていました。
4年目くらいからでしょうか、まずは大きな建物のトイレだけ。次に公園などにある小さな公衆トイレというように、徐々に仕事を任されるようになりました。

図面を引くまでに、どのようにイメージをつくっていくのですか?

 たとえば、公園のトイレであれば、自分だったらどういうトイレに入りたいかを考えます。次に、女性であればどうか、子供さんや老人の方であれば……、といったように考えていきます。
また、ほとんどの建物の場合、その建物は単独では存在しません。ですから、その町並みや、もっと広くとらえれば、そこの環境にどう溶け込ませるかを考えます。また、溶け込ませるほうがよいのか、逆にアクセントとして町並みを引っぱっていくのがよいのか、といったことも……。
家でテレビを見ていても、目に映るのは主人公の背景の建物や、部屋のインテリアなどで、ストーリーなど全く頭に入ってきませんね。家族で旅行に行ったときも同じで、建物に関心が奪われて、妻に注意されることもしばしばです(笑)。

実際にクライアント(依頼人)とは、どのように仕事を進めていくのですか?

 おおかたの場合、クライアントのご希望は、わりと大まかです。ですから、その方が何を希望されているのか、何を考えていらっしゃるのか、どのような人なのかを知るために、限られた時間の中で、ひたすら話を聞きます。その中で、まずはご希望の芯になるものをつかんで、徐々にイメージを具体化していきます。
そうして、始めにコンセプトが固まります。次からは、毎回のことですけど産みの苦しみですね。死ぬほど悩みます(笑)。コンセプトをベースに平面と立面を描いていきます。今の会社に入って14、5年になりますが、毎回毎回、悩みます。1千万円の仕事であろうが、1億円の仕事であろうが、同じように悩みます。“決め込む”ということに悩むのです。私にとってはベストでも、クライアントにとってどうなのか?第二、第三の案まで用意することもあります。

建物によっては、なぜこのような形なのか不思議に思えたり、不必要と思えるような構築物がついていたりするのですが……。

 たまに、ウンウン悩んでいる私を見て妻が、「あなたがそんなに悩んでも、一般の人にとってはそれほど重要ではないかもよ」と、そばから声を掛けてくれることがあります。確かにそうかもしれません。しかし、一般の人が気がつかないからといって、機能だけを重視した味も素っ気もない建物でよいのでしょうか?
 もし美術館が、屋根があって、壁があっての、昔の小学校のような建物であったとしたら、人々は足を運ぶでしょうか? ふと足を止めた人がじっくり見てくれるような、さりげなくすごいデザイン、シンプルだけどすごいものを考えていたいですね。
いつも建物の機能とデザインが、完全にイコールとはかぎりません。かといって、いくら外見がよくても中身がないとつまらないし、やはり機能あってのデザインです。
機能重視ですけど、そこにひとひねり、付加効果は付け加えたいですね。気持ちとしては流行を追うのではなく、100年経ってもそこにあるような、その場所にしっかりと存在しているような建物をつくりたいですね。また、限られた予算の範囲内でそこそこのものをつくるのか、予算内でも立派なものをつくるのか。部屋だけは、一点豪華主義じゃないですけど、お金をかけてよいのか。この建物は外観を優先するのか、使いやすさ優先なのか。いろいろなファクターを考えながら、決め込んでいく。この作業が結構大変です。しかし、日本に、いや世界に一つしかない、私にしかつくれないものをつくるんだという気持ちだけはあるつもりです。

<日高さんの作品>
桜歯科



隼人町立学校給食センター


技や技術は先輩から教わるのですか?

 設計には、いろいろな技があります。もちろん図面の線を引く技。限られた空間に納める技、決められた予算の範囲内に納める技術。また、クライアントに説明する技術、ときに説得する技。
駆け出しの頃は、先輩についてクライアントのもとへ行き、横で見たり聞いたりしていました。すると、私だったらそうは言わないとか、そんな言葉は使わないとか。逆に、こんな表現方法があるのか、うまい説得の仕方だなと思うこともありました。
設計に携わる者は、打ち合わせや説明する時間の何倍もの時間を図面引きに費やしますが、上手に話す、上手なコミュニケーションの取り方というものもかなり重要な技です。

建築とは、設計する人・つくる人・クライアントの、三人四脚なのですか?

 そうです。三者の協同作業です。設計者は、管理する立場ですけれど、どちらかが上でもなければ、下でもありません。よい建物をつくるためには、お互いの信頼関係の上での共同作業が重要なものとなります。常に上手に、十分にコミュニケーションを取る必要があります。
不思議なもので、三者のよい関係が築けた仕事の時には、完成後もほとんどトラブルはありません。しかし、建設中から三者がしっくりいかないと、完成後もトラブルが続発します。机の上での設計と現場では、やはりずれや違いが生じます。その都度、三者が十分に話し合い、知恵を出し合って、解決していかなければなりません。
クライアントに十分納得してもらえるような仕事をすることを心がけていますが、ただクライアントの要望どおりにつくるのではなく、建築・設計のプロとして、彼らの要望の先を見た提案、もしくは、ある意味で上の考えを提示していくよう心がけています。

個人住宅と公共的な建物との違いは?

 はっきり違うのは「使う人」です。個人住宅は個人ですから、誰が使う・住むのかは明確です。公共的な建物となると、数多くの老若男女が使うことになります。
個人住宅であれば、施主にとって満点、それは無理でも90点以上のものを考えますが、公共施設の場合、絶対にすべての人が満点とはいきません。使う人みなに合格点はもらえても、満点とはならない建物を考えざるをえません。

<日高さんの作品>


種子島こりーな


時代の流れは仕事の仕方にも影響を与えましたか?

 そうですね。インターネットやデジタルカメラの普及で変わりました。図面や写真のやりとりが便利になりましたね。電話でいくら説明されても、言葉だけではわからないことってありますよね。今ではデジタルカメラで現場をリアルタイムに見られますから、より細かな管理やアドバイスが可能になりました。
一方で変わらないこともあります。毎年・毎月のように、新しい建築材料が生まれてきます。すべてがそうでありませんが、パッと見た目はよく、言うならば一般の人には受けます。しかし、われわれ専門家が見ますと、表面はきれいでも、ちょっと剥いでみると……、といったものが結構あります。また、完成品である建築物にしても、専門家から見ると、材料や空間の使い方が、どうも“軽い”ものもあったりします。
やはり、よいものは昔から決まっています。石であったり、木であったりと、昔ながらの基本的な建材のほうが、まず間違いはありません。おそらく、昔ながらの材料で、昔ながらのつくり方の建築物のほうが、何十年経っても色褪せない、しっかりしたものができるでしょうね。新築のときは、少し“おとなしく”ても、使っていくうちによさが徐々にわかってくるように、流行りにのらずベーシックなほうが、息は長いでしょうね。

これからの展望は?

 私がこの会社に入った頃は、まだ手描きで図面を引いていました。今ではCAD(キャド;図面を引くコンピュータ)がほとんどです。CADの線は、みな自信ありげに見えるんです。手描きの線、生の線であれば、たとえ他の人が描いた図面でも、自信のない線はわかります。不安そうな力のない線であったり、消しゴムで何回も消されて引き直してあったり、描いた人の調子の善し悪しまで1本の線に見て取れます。そのような線が図面にあると、やはりその箇所は何か問題があるのじゃないかと注意深く見ます。ところがCADの場合、どの線も自信たっぷりですから、つい見落としてしまいます。
事務所に入った頃、よく先輩から「線が汚い、はっきりしていない」と怒られていました。最近になってやっとその意味がわかってきましたね。要は1本の線に心が入っていなかったんだと思います。ですから、この仕事を始める人は、まずは、手描きで図面を描いてほしいですね。1本の線を大事に、心を込めて仕事をしてほしいですね。
仕事における慣れはある程度必要ですけど、慣れないように仕事をするように心がけたいです。初心にかえって、相手の目線で物事を考えることを忘れたらだめですね。
完全に納得のいく仕事ができるように日々がんばっていきたいと思います。


お話をお聞きしていて、幼い頃に積み木で家や建物をつくって遊んでいたことを思い出しました。積み木ですから、まずは土台、そして柱、その上に屋根です。設計の仕事も、まさに積み木。1本の線に始まり、最後の1本で終わる。こつこつ、一歩一歩の地道なお仕事だと痛感しました。そうしてその作品が100年残る。まさに樹齢百年の樹のような、息の長いお仕事でもあると思いました。



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