ものづくり名手名言 歯科技工 第15号 平成13年5月1日発行

第15回 泣こよか,ひっ飛べ―LEAP
                  Interviewee 西 みやび(シティ情報誌『LEAP』編集長)





西 みやび にし みやび
1961年8月鹿児島市生まれ。鶴丸高校、立教大学文学部卒。1989年12月5年間勤務した毎日新聞東京本社を退社後、鹿児島市にUターン。1990年1月南日本出版社入社。同年、シティ情報誌『LEAP(リ−プ)』を創刊、初代編集長となる。1991年10月同社取締役就任。現在に至る。

西さんの手→


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この道に入ったきっかけは?
 大学生の頃は、当初、テレビの世界に入りたいと思っていたのですが、結局、卒業後は新聞の世界へと進みました。
 新聞社では、日曜日に出される16ページの若者向けの紙面を担当していましたが、ご多分に漏れず、5年もすると両親から「帰って来い」との一声。迷いましたね。周りの人に「都落ちします」と、冗談半分に話していたのですが、大学時代の恩師に「“故郷に錦を飾る”ということわざがある。あなたなら、もうひと花くらい咲かせられるでしょう」と言われ、一念発起しました。今では「地方に住みながら、東京に仕事で定期的に出てくる理想的な生活をしているね」と、昔の仲間たちにうらやましがられています(笑)。
 鹿児島に帰ってきてから求人を見て、今の会社に就職しました。「編集長として採用するので、企画書を持ってこい」とオーナーに言われて。

それでは『LEAP』の生みの親になるんですか?
 そうですね。子供の頃から雑誌が好きでしたので、結構いろいろなファッション誌を見ていました。それだけに、東京に出た時はカルチャーショックを受けました。というのも、それまでいつも目にしていた『アンアン』や『ノンノ』の内容は、私にとってただの絵に描いた餅にすぎなかったのに、東京に出てみると、雑誌の中身が絵に描いた餅ではなく、目の前にあるんです。おしゃれなレストランにしても喫茶店にしても、洋服屋さんにしても。当たり前のことかもしれませんが、実際に目のあたりにして、『アンアン』や『ノンノ』が東京の地方情報誌であることに気づいたんです。
 その後、帰鹿して本屋さんに行ってみると、自分の好奇心を満足させてくれるに十分な地元の情報誌というものが並んでいませんでした。だったら自分で作るしかないなと。一冊で地元のことも、東京や都会のこともわかる雑誌があればいいな、身近な役に立つ地元の情報と、刺激のある都会の情報が一冊になったらいいだろうなと思ったのです。
 そうして就職後、私が東京にいた頃に一つのブームを築いた『Hanako』という雑誌の鹿児島版的な雑誌を作りたいと企画書を出したところ、オーケーとなったわけです。1990年10月の創刊でした。

『LEAP』はすぐ立ち上がったのですか?
 まさか(笑)。最初、私のなかでは『Hanako』がお手本でしたから、20代、30代のOLをターゲットにしていました。ところが、鹿児島のキャパシティを考えると、女性だけではなく男性も相手にするようにとの上からのお達しがあり、最終的には、20、30代のOLに加えて、ビジネスマンも対象に考えていきました。
 当時、鹿児島には2つの情報誌がすでに発行されていて、「3誌目は成り立たない」というのが業界の常識でしたし、実際、過去に3誌目の情報誌というのが、創刊しては消えていきました。
 名前をつけるのにも一苦労で、私としては、タウン情報誌ではなく、あくまでもシティ情報誌であるという思いがありましたから、名前に関しても妥協はしたくありませんでした。「あーでもない、こーでもない」と頭を捻りましたがいい名前が出ず、最後は、みずから辞書を片手に徹夜して決めたのを覚えています。『LEAP』とは、「跳ぶ、はねる、跳躍する。飛躍する。心や胸が躍る」という意味です。鹿児島弁に「泣こよか、ひっ飛べ」という言葉があります。「当たって砕けろ」のような意味でしょうか。この「泣こよか、ひっ飛べ」にも掛けています。

創刊から1年足らずで完売するまでになったそうですね。
 ある程度、ねらいは当たったということでしょう。ヒット商品を生み出す秘訣は「きっちりターゲットを絞り込む」ということにあると思います。子供からお年寄りまで幅広くと考えると、どうしても焦点がぼけてしまいます。いい物をたくさん売ろうとすれば、やはりターゲットを絞る必要があるのでしょうね。そこで、最も財布が自由になる20、30代の独身OLとビジネスマンをターゲットにしたというわけです。もちろん、私と同世代であるということもありましたけど。
 次に、鹿児島から東京に発信できる情報誌、中央の情報誌に引けを取らない情報誌、すなわち、「鹿児島のHanako」を作るということを常に頭に置いていました。鹿児島を離れて10年、帰ってきて見えたもの、離れていたから見えるもの、さまざまありましたが、ある意味、冷めた目でふるさと鹿児島を見ることができました。自分の好きなふるさとであるからこそ、単に田舎で終わってほしくないし、かといって、ミニ東京やミニ福岡になったのでは面白くない。やはり、田舎だけど都会に負けないものがしっかりとあることを読者に知ってほしいし、田舎であっても素敵な生活が送れるんだということを提案したいですね。20代のOLがアパートで質素に生活しているより、マンションに住んでいるほうが夢があるじゃないですか。読者に夢を与えるのも、雑誌の使命だと思います。

創刊11年目に入られたということですが、ネタは尽きないのですか?
 私の感覚が時代の流れや東京に遅れるようになったら負けでしょうね。東京には季節ごとに行きます。プロのカメラマンによるプロのモデルや女優さんの表紙用の撮影や、東京在住の人へのインタビューを兼ねての出張が目的ですが、一番は今の東京の風に当たりに行くんです。『LEAP』には、東京在住のライターによる連載記事が何本かあるのですが、そのなかに出てくるスポットには、必ず足を運びますね。
 私自身、年齢的にはそろそろターゲットアウトですけど、感覚をターゲットインに置くように気をつけています。また、編集部にも20代の人がいますので、その人たちの声も十分に聞いています。けど、時代や感覚が変わっても、変わらないものもありますよね。等身大で感じるもの、興味の向くものがネタになるような気がします。 取材した内容は、一度『LEAP』というフィルターを通して記事にします。そこが、新聞と雑誌の大きな違いだと感じています。情報誌がより元気であれば、その街はさらに元気になると思いますし、情報誌を作るということはその地方の文化を作る一翼を担う、とも思っています。地元誌だけど東京標準。その一方で、毎月鹿児島県内96市町村に電話して、面白そうなことがあれば記事にしますし、足を運びます。また、たとえば「大女優へのインタビューは地方誌だから不可能だ」なんて、最初から頭ごなしに無理だと思うのはやめにして、まずは交渉してみますし、『LEAP』の内容が、隣近所の井戸端会議的な中身にはならないようにとも心掛けています。

たとえネタは尽きなくても、マンネリになりませんか?
雑誌は立ち読みで済まされずに買ってくださる人が何人いるかが勝負ですし、『LEAP』は月刊誌ですから1カ月はもってほしいですね。ですから、マンネリは絶対に避けなければなりません。そもそも、マンネリとは気のゆるみからくると思います。
 ではどうすれば、お金を払って買ってくれて、なおかつ1カ月間はゴミにならないか。一つの手法としては、どれほど保存版的な内容を盛り込めるか、ということです。
 もちろん、特集の組み方も重要です。たとえば、まだ若い女性の夜遊びがどちらかというとタブーであった頃、夜遊び特集を組んだら3日で完売したことがあります。流行るかどうかわからないことを仕掛けるのも、情報誌の役目の一つでしょう。神様ではないので絶対的な自信は持てませんが、自信を持たないと企画はできません。確信はないけど賭けみたいなつもりで企画します。企画によっては、その後、地元テレビ局が取り上げて火がついたという特集もありました。
 カレー特集を組むとしましょう。素材は多ければ多いほどよく、ベスト30を決めるために、やはり100店はリサーチします。ベスト30のために30店舗しか取材していなかったら、それは必ず読者にばれますね。読者に見抜かれたら、その雑誌の生命は終わってしまうでしょう。
 この仕事、一見華やかに見えるかもしれませんが、実に地味な仕事です。みんな一人ひとりがきちんと足で情報を稼いでいますよ。締め切りが近づくと昼も夜もありませんし、ちっともカッコよくなんかありません。けど、そういうことの積み重ねが、売れる本を作っていくことにつながるのではないでしょうか。現場にいる人間にとっては麻薬みたいなものです。すごくしんどいけど面白い、やめられないというのも本心です。そうして、発売日と同時にその号のことは頭のなかから捨て去って、パッと切り換えて次の号をよりよくするために全力投球します。
 特集や企画は時代ごとに変わるものだと思いますから、常にその時代に合わせられる自分でありたいですね。しかも、わたし=LEAPではなく、大衆が求めているもの=LEAPであるべきだと思います。

技術の伝承とかはあるのですか?
 東京の新聞社にいた頃、名文を書くことで有名な先輩記者が締め切りぎりぎりまで、ぶつぶつ言いながら社内を歩き回り、推敲されている姿をよく拝見しました。その先輩曰く「テレビはその場で流すが、新聞には締め切りまでの時間がある。インタビュー記事の場合、二度と会えないかもしれないその人のことを、最高の言葉で表現できるよう、ぎりぎりまで探している」。その先輩の言葉がいつも脳裏をよぎります。私もインタビュー記事を書くときには、最後の語尾までも正確に伝えたいと思っています。
 はっきりいって、新聞社にいた頃に先輩から何かを教わったという記憶はありません。ものを書くという仕事も一種、職人の世界です。先輩の仕事ぶりを隣から見ていて盗んでいました。今の若い人は、初めから手取り足取り教えてくれると思っていますね。それで教えてもらえないと辞めていく。もちろん聞かれれば教えますけど、聞いてこなければ教えない(笑)。
 テレビは瞬間ですけど、新聞や雑誌は違います。活字とは滞空時間が長いものです。もし、何か間違いを書いてしまえば、その新聞や雑誌があるかぎり、その間違いもずっと残ります。
 ある時、神田うのさんにインタビューしました。その頃、彼女が結構バッシングされていた時期で、なかなか本音で話してくれません。うのさんは私が自分にとって敵か味方かを判断していたんです。味方だとわかると、徐々に心を開いてくれました。たとえば誕生日の話題から入ったり、こちらはあなたのことをかなり調べてきたのよ、というように話を進めていくと、人の取材はたいていうまくいきます。インタビューは始めの5分が勝負でしょうね。

今後の展開は?
 創刊11年目ということで、最近は主婦の方も多く読んでくださるようになりましたが、今のところ、ターゲットを変える気はありません。読者層が広くなっていくことは、大いに結構なことですが、あくまでもターゲットは20、30代のOLとビジネスマンです。
 また、読者あっての『LEAP』であるということは一番重要なことですが、プロという意味で、読み手と作り手は違うんだとも思います。綴じ込みハガキなどで読者のいろいろな声が届きます。読者の声は重要ですが、情報やネタをそこに頼るようになってはダメだと思います。
 インターネットとの共存やコラボレーションということもよく耳にするようになりましたが、私は違うなと思います。それぞれの棲み分けが十分可能なのではないでしょうか。現時点では活字や雑誌のほうがモバイル性も高いし、信頼性もあるでしょう。これからは、さらにインターネットとは一線を画すような出版物・情報誌を作るべきだとも思います。
 なによりも、作り手として妥協しないということが大切でしょう。写真のクオリティとか記事の内容で、この辺でいいじゃないの、東京じゃないんだ、ここは鹿児島なんだとか思い始めたら終わりです。そこにこだわれなくなったら、この仕事辞めるでしょうね。



 お会いする前には、強い女性のイメージがありました。しかし、お話をお聞きしてみると、その強さは「剛」の強さではなく、「柔」の強さ・しなやかさだと思いました。柳のように、風に吹かれるときは風まかせ、風が止むと元のとおり。決して折れることのない柳。時代のカオスのなかを、しなやかさをもってしなやかに歩む。
 鶴丸高校の校歌に「ほむらをのみて 桜島今日静かなり」というフレーズがあります。まさしく、その秘められたエネルギーが感じられる編集長でした。



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