ものづくり名手名言 歯科技工 第14号 平成13年3月1日発行

第14回 丸ごと味わう
                  Interviewee 森光 宗男(「珈琲美美」店主)






森光 宗男 もりみつ むねお
1947年福岡県久留米市善導寺町生まれ。1966年県立久留米高校卒業後、美大受験に失敗、桑沢デザイン研究所(専門学校)に通う。2年後学生運動に加わり中退。その後、ハワイ・オアフ島に半年間滞在。1972年東京・吉祥寺の珈琲店「もか」に入店。標交紀氏より5年間指導を受ける。1977年福岡市今泉に「珈琲美美」を開業、現在に至る。

森光さんの手→


珈琲美美
(こーひーびみ)

〒810-0021
福岡市中央区今泉1-19-18
Tel/Fax 092-713-6024
ホームページ http://www.cafebimi.com

↑「珈琲美美」


まずはおおまかに「珈琲」の歴史を教えてください。
 珈琲の発祥に関しては諸説ありますが、エチオピアで生まれ、飲み方を含めてイエメンで育てられたと言えるでしょう。そして、砂漠の民・ベドウィンによって、香辛料を加えるスタイルなどとともにトルコなどを経由して、ヨーロッパへと伝えられます。その後、植民地政策のプランテーション作物の一つとして世界的に広がっていったのは、ご存じのとおりです。
 日本には、約300年前にオランダ人によって長崎の出島にもたらされたのが最初でしょう。そして明治維新以降、開国とともに横浜や東京で飲み始められるようになり、一般庶民にも知られるようになるわけです。

この道に入られたきっかけは?
 高校卒業までは久留米の田舎で過ごしました。美大受験に失敗し、上京してデザインの専門学校に通うようになるのですが、学生運動に加わって中退します。その後、母の叔母がハワイ・オアフ島に移民として住んでいたものですから、そこに半年間居候させてもらいました。その時に飲んだ珈琲が、私にとって初めて飲んだ本物の珈琲でした。珈琲の豆、淹れ方や器具も本場のものでしたから美味しいのは当然だったのかもしれませんが、何よりも印象的だったのは、一杯の珈琲が、毎日の生活のなかで、または日々のきつい労働のなかで“句読点”であったということです。この時に珈琲の本物の味とともに、珈琲を飲むということそのものの意味を垣間見たような気がしました。
 子供の頃、この叔母からは、毎年クリスマスの時期になるとプレゼントが送られてきていました。その中には、レイに仕立てたチューインガムやチョコレート、スパイスの利いたお菓子などが入っていて、必ず珈琲も入っていました。当然私の田舎にはパーコレーターはもちろんのこと、珈琲器具らしきものはありませんでしたから、鍋に珈琲豆の粉と水を入れて煮出して飲んでいました。しかしながら、幼心に決して美味しいと思ったことはなかったように記憶しています(笑)。
 ハワイから帰国後、多少の紆余曲折がありましたが、24歳の時に東京・吉祥寺の「もか」に就職しました。

「もか」での5年間はどうでしたか?
 当時は自家焙煎が流行りはじめ、雨後の筍のごとくに珈琲専門店が増えた時期でした。「もか」でも店舗改装に伴い焙煎室を作った頃で、珈琲は専門店ブームでしたけれど、24歳でのスタートは、むしろ遅かったと思います。
 「もか」に入店してまず驚いたのは、来られるお客さんの目が、みな生き生きと輝いて見えたことです。学生運動に加担していた頃は、極端に言えば「どうやって死のうか?」といったことを真剣に考えていて、結果、八方塞がりになって自分自身を見失っていたわけです。そんな私にとって、「もか」で働き始たことで、初めて一筋の光明を見出したというか、自分が真剣に打ち込めるものに出会ったような気がしました。
 半年も経つと、店の先輩方の珈琲を淹れさせてもらえるようになり、1年過ぎた頃にはカウンターに立っていました。「もか」としては異例のスピード出世ということだったらしく、当時の私をマスターは「熱心だった」と言ってはくれますがね(笑)。
 ある本に剣豪の話が出ていたのですが、本当に強い剣豪は、自分のライバル以上の練習をするそうです。それに習って、マスターが仮に1日に12時間珈琲に携わるのであれば、私は14時間、15時間…、それ以上珈琲に接してやろうと考えていました。そうすれば、才能の違いはあるにせよ、マスターを抜けるんじゃないかと思ったんです。休みの日を利用しては古本屋を回って珈琲に関する本を探したり、有名な喫茶店に足を運んだりしていましたね。

努力すれば必ず抜けるというものでもないと思いますが……。
 確かに熱心さだけでは無理でしょう。たとえば、原風景や幼児体験にかかわることかもしれませんが、“生の味”を知っているということも大切ではないでしょうか。
 私の場合、幼い頃に特別なおやつはなく、森の野苺、椎の実、畑に植わっている人参や大根、そういうものがおやつでした。自然だけが持ちうる味や風味は、決して人間には作りだせないものです。自然の味をベースに妙なる味覚に引き上げるのは人のなす技ですが、それは持ち味を生かすという展開があるだけのことであって、生の味を知らない人にはその展開は無理でしょう。今思うに、私は生の味を知っていたんでしょうね。
 加えて、運というか、タイミングみたいなものも大切ですね。当時「もか」はもちろんのこと、吉祥寺の街自体が脚光を浴びていた時期でした。ですから「もか」にはさまざまな人が集まりました。ほとんどの著明な珈琲関係者は来られましたし、写真家の土門 拳さんや、哲学者の谷川徹三さんたちも足を運んでくださいました。そのようないろいろな方がたに出会えたことも、自分にとってプラスになりました。

福岡に帰って来られてどうでしたか?
 生まれ育った久留米での開業も考えましたが、結局何も干渉のない新天地でやってみたいという気持ちが強く、この場所で開業しました。今でこそ賑やかになりましたが、開業した頃は人通りの少ない、天神のはずれといった場所でした。しかも当時、福岡はアメリカン全盛で、深煎り珈琲は受け入れられるはずもなく、待っても待ってもお客さんの来ない日々が続きました。それでもシャブシャブのアメリカン珈琲だけは絶対出すまいと思い、舌が記憶している感動した珈琲の香味を目標に“1日に豆1粒ずつ近づく”決意で足元を探り、理想を高く持っていました。みずから珈琲の奥深さに驚きを覚えながらの毎日でしたね。

酒もタバコも呑まれないのは珈琲のためですか?
 もともと酒のない家庭に育ちましたので、いまだにお酒には縁がありません。タバコは「缶ピー」を吸っていましたが、「もか」に入った時に止めました。珈琲は舌よりも上顎、上顎よりも鼻が大切です。
 話は少々飛びますが、子供の頃は赤面性というか、あがり性で、人前に出ると鼻の頭に汗をかく、かくというより汗がぼたぼたと落ちるほど緊張しました。今考えてみると、それだけ鼻の血のめぐりがよかったのかもしれませんし、この仕事は珈琲を介在させてお客さまを相手にしますので、あがり性の私にはぴったりなのかもしれませんね。
 珈琲は味よりも香味です。味覚というのは、いわば光と影、光が強いほど影も濃くなります。裏腹なもの、真反対のもの同士が共存し、同時進行してはじめて美味しさは成立するものだと思います。わかりにくいようですけど、どうすれば苦味はあるのに苦くない、酸味はあるけど酸っぱくない珈琲になるか、というようなことです。ですから、味が強いものには強い香りが共存しないと美味しくない、まずいものになってしまうんです。
 珈琲は日本に辿り着いて、やっと完成したと言えます。日本の風土、習慣の中では、水と火だけの調理は普通です。ネル・ドリップで珈琲を淹れるということは、水と火と重力だけを使っているわけです。これ以上シンプルな方法はありません。調理法がシンプルなだけに、材料をそのものだけで味わえるのです。
 珈琲は日本に来て、初めてブラックで飲まれるようになったと言っても過言ではないでしょう。中近東にせよ、ヨーロッパにせよ、珈琲単独というよりは、香辛料を入れたり、砂糖やミルクを加えたりして飲むのが一般的です。歴史的に見ても、珈琲はその国々の風土、習慣に合わせて飲まれています。珈琲は自由度の高いものですから、その国なりの珈琲が発達しているわけです。
 珈琲に限らず、材料そのものを十分に生かせば、そのものだけで味わえると思います。そのものを十分に生かすということは、丸ごと生かすということでしょう。全体があってはじめて部分が存在するのです。たとえば、珈琲の種子を一つの宇宙であるとしましょう。周りの果肉を含めた果実として見ると、これまた一つの宇宙です。そうして、果実は木という宇宙に含まれ、その木は大地に、大地は地球という宇宙に含まれる。全体を見て、初めて見えてくるものがあるわけで、香りと味、両者があってこそ珈琲は見えてくるものなのです。ですから、珈琲に携わるものにとっては、珈琲の種子も果肉も、果実丸ごと味わって、かつ育つ風土を識ってはじめて、その豆のイメージが生まれてくると思いますね。

ブレンドについてお聞かせください。
 一言で言えば、世界中の味をミックスするということでしょうか。高地産の豆と低地産の豆、地球の真反対の生産地同士の豆、酸味の強い豆と苦みの強い豆などなど、確かに味が丸くはなりますが、あくまでもベースがあって、そのべースをより生かすためのブレンドです。相加相乗とでも言いましょうか、ある程度慣れてくると、和音を作る感覚でブレンドします。豆の種類の組み合わせに,さらに焙煎の度合いを加味してできあがります。

味の伝承は可能なのでしょうか?
 珈琲そのものが自由なものであって、これからもそうあってほしいと思いますし、加えて味覚そのものも自由度が高いものですから、伝承というより、その人──珈琲を志す人が感動を持てるか否かでしょうね。一杯の珈琲から感銘を受けた体験があれば、そのイメージに近づけることをすればよいわけです。しかし、感動しない人、感動がない人はイメージできないわけですから無理でしょう。
 珈琲に砂糖とクリームを入れると確かに美味しくなります。ただし、他のものを加えるということは、味を固定する、味が止まってしまうということでもあります。珈琲単独であれば、冷めていく途中で、温度変化とともに味や香味も変化します。珈琲を志す人であれば、そのような変化を含め、一から十まで感じきれないとだめでしょう。
 ものづくりということでは、観察力とか洞察力というものが、非常に高いウェートを占めると思います。半分は失敗しながら、ものづくりをしていきますよね。その時に、その失敗を失敗だけで終わらせるのか、その失敗から何かを学びとれるかどうかではないでしょうか。思いがけないところで起こるのが失敗ですから、それはチャンスでもあるわけです。失敗もその人に課せられた一つの要素ですから、失敗を含めて丸ごと生かせるかどうかが重要になると思いますよ。

↑よい仕事をすれば、名前はおのずとよく見えてくる


お店にはいつもお花が活けてありますね。
 話は「もか」での修行中のことなんですけど、ある時マスターが、北大路魯山人の書いた『春夏秋冬 料理王国』を、「読んでみなさい」ということで貸してくださいました。その本で魯山人や星岡茶寮のことを知り、非常に興味を持ち、古本屋回りの時には珈琲関係の本とともに『星岡』(星岡茶寮が出版していた月刊誌)を見つけては買い求めるようになり、そうこうするうちに『星岡』に名前の出てくる秦 秀雄先生のご自宅に足を運ぶようにもなりました。秦先生は「星岡茶寮」の初代支配人を務められた方で、当時70歳代後半で世田谷に住んでいらっしゃいました。珈琲店に勤める若造が、魯山人に興味を持つのは面白いとでも思われたのでしょうか、迷惑がらずに丁寧に相手をしてくださいました。先生のご自宅には、それはもう見事なまでに花が活けてあるのです。ご自宅の一室には、芭蕉の軸が掛けてあったり、花器にしても美術館に並ぶような器を何気なくお使いでした。器と花との取り合わせが、それはそれは見事で、生活そのものが美という方でした。
 「美美」開店当初は、花を買うお金もありませんでした。しかし、お店が暇で、花を採りに行く時間は十分にありましたね(笑)。実は「美美」の名付け親が秦先生です。秦先生曰く、「これはどのように読んでもよい。しかし、よい仕事をすれば名前はおのずとよく見えてくるもの」。味に関係する仕事であるので美味にかけて、「美美」を「びみ」と読みましょうということになったわけです。

今後の展開をお話ください。
 イエメンやエチオピアのほうには、もう何度か足を運びましたが、珈琲の発祥にしても伝播にしても、まだまだわからないことがたくさんあります。歴史的に重要なトルコやオランダにも行ってみたいし、また、ブラジルの農園の方からもお誘いをいただいています。
 何事もそうでしょうけど、ある程度のところまで行って、あと残り3割を明らかにするためには、次のレベルに進まざるをえない。次のレベルに進めば、また新たな残り3割を知るために次のレベルへと…。この繰り返しじゃないでしょうか。次のレベル、別の角度で珈琲を見る、ひいては自分を見つめ直す。意外と仕事とは無関係なところにそのヒントがあったりしますよ。
 私の場合、壁にぶち当たると不思議と誰かしら現れて、助けてくれます。本当に運がよいというか、巡り合わせがよいとは思いますね。最近になって、何かしら珈琲に導かれるままに歩いてきているような気さえするのです。
 わからない時、周りが見えていない時には、いろいろな人がライバルに見えて気が重いものです。150円の珈琲にしても、スターバックスコーヒーにしても、いろいろなスタイルがそれはそれで残るでしょう。しかし、火と水と重力だけを使った調理法(ネル・ドリップ方式)、言い換えれば、日本という風土が培ってきたものは必ず残ります。本質があってはじめて異質があるのであって、本質がなくなったら全部消えてなくなります。私自身、今後も珈琲によって生かされるでしょうし、珈琲の輪の中で生きていくのでしょうね。


 コメントはいらないと思います。百聞は一見にしかずで、チャンスがあれば一度「美美」の珈琲を味わってみてください。まさしく「珈琲のお点前」と形容できる所作で淹れてくださいます。最後に伝票に書いてあった一文を載せておきます。
   

「ダルマサンガコロンダすきに
  世の中も変わっとる
  ゆっくり珈琲ば飲んで
  元気に起き上がってみんしゃい
  何か手があるや呂」


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