ものづくり名手名言 歯科技工 第12号 平成12年12月1日発行

第12回 「La Cuisine,C'est toute ma Vie.」−料理、これこそ、わが全人生
                  Interviewee 斉須 政雄(フレンチシェフ)



 こころより
  我に働く仕事あれ
   それを仕遂げて
    死なむとぞおもふ
        石川啄木


 ある時、新聞の書籍広告に『十皿の料理』という本を見つけ、それを手にしたところ最後まで一気に読んでしまいました。その時、いつしか食べに行ってみようと思い、1993年4月『十皿の料理』を手にコート・ドールを訪ねました。そうして食べ終わった時にサインをお願いしたところ、快く一筆書いていただきました。それが冒頭の啄木の句です。

斉須 政雄 さいす まさお
1950年福島県白河市生まれ。1968年フランス料理界に入る。1973年フランスに渡り、12年間滞在。1986年コート・ドールの料理長に就任。現在、同店オーナー・シェフ。

斉須さんの手→


コート・ドール

〒108-0073
東京都港区三田5-2-18 三田ハウス1階


↑「コート・ドール」.厨房の隅々まで手入れが行き届いている

なぜ料理の世界に入られたのですか?
 学校時代から、人を喜ばせることが好きで、ピエロになったり、冗談や駄洒落を言って笑わせたりすることを得意としていました。受けがいいと、次はどうやって笑わせようかと考えていました。しかしそのうちに、「こんなおちゃらけをいつまでもやっていられない、社会に出たらこんなことは通用しない」と思いはじめました。そんな折、進路を決める時期とも重なり、幼い頃のケーキ屋さんになりたいという思いもあってか、料理の道を選びました。「人を直接喜ばせる仕事をしたい」というのがベースにあったのでしょう。

高校卒業と同時に料理の世界に入られてどうでしたか?
 当時、田舎には料理人としての求人はほとんどなく、ホテルの調理師見習いが社会人としての第一歩でした。しかし、調理師見習いとは名ばかりで、雑用から皿洗いまでいろいろな仕事をやらされました。その時に「いかに世の中には矛盾が多いか」「どうしてこうも筋が通らないのか」「道理が通らないことは許せない」と思いましたが、自分の立場を考えると、言いたいことも言えませんし、やりたい仕事もやらせてもらえません。「今に見ておれ」と思いながらも、人生の一覧表を垣間見たような三年半でした。
 しかし、この三年半があったからこそ、次の千葉の職場では爆発的にいろいろなことを吸収し、伸びましたね。カラカラに乾いたスポンジが水を吸ってどんどん膨らむかのようでした。
 その時の料理長には感謝しています。その人は、経歴とか経験には関係なく若手を登用してくれました。まずは何事もやらせてくれる。やったことのないことでも「君にはできる」と言ってやらせてくれるんです。そうすると、「自分はひょっとするとできるかもしれない」と思い始めるようになるんです、不思議と…。しかし、できない時には「君はできるはずなのになぜできないのか」と、叱咤激励されました。私自身、叱られているという感覚はありませんでした。むしろ、「できるはずなのに」を頼りに、ひたすら仕事に挑んだように思います。
 ですから千葉の職場では、もう一滴も、一粒も逃したくないと思い、仕事が終わって家に帰ると、まずは眼を閉じて、その日の朝の材料の仕入れから、夜の最後の掃除までを思い返し、日記というよりも備忘録のつもりで、その日一日のことを書き綴りました。それが終わってやっと自分の時間という毎日でした。はじめの三年半で、力がなければ発言できないことを痛感していましたので、この頃には「絶対にフランスに行って力をつける、本物になってみせる」と心密かに決心していました。

フランスの12年間はどうでしたか?
 行ってみてまず感じたことは、歯の大切さです。フランス人は歯と口元をよく見ます。フランス人にとって、歯がきれいなことは家柄のよさ、育ち、しつけなどのよさのひとつみたいです。口元がきれいでないと、ものすごく嫌がります。生活習慣によるものでしょうけど、向こうの人は、いつも歯科医院に行っている感じでしたね。それこそ、いつも歯を磨いていますよ。
 そして、フランス人は匂いと音に非常に敏感です。日本人には感じとれないような匂いや音も、しっかりと感じとっている。それから、人々がいつまでもオスとメス、男と女なんです。「この人たちは、いつ老人になるんだろう」と訝るくらい、光り輝いている。人生の楽しみ方を知っているから老けないのでしょうか。日頃はタガが外れっぱなしのような人が、ひとたび出るべきところに出ると、豹変してすごい仕事をしたりする。多民族、地続きの歴史ある国ゆえの老獪さ、したたかさなのかもしれませんし、実際にはタガがきっちりしているということですね。
 料理に関しても、自由奔放に作っているようで、できあがるときちんとしたものになっている。どの食材をどのように組み合わせて、どう味付けすれば良いかということを、頭というより身体全体というか「生理」で感じとることができる、しっかりとした精神構造を持っていますね。
 僕の場合、ソースをスープのように飲んだり、パンやメロンを箱ごと食べたりして、やっとそのものの味を、身体で覚えて理解できるようになりました。それと同じで、フランスというものを良いも悪いもすべからく飲み込んで、咀嚼していって、フランス語が肉声になった頃に、やっと、フランス人の「生理」がわかるようになったんです。
 フランスの12年間では、仕事というよりも、フランス料理の根底にあるもの、そこに流れるフランス人の性根をつかんだような気がします。

日本に帰ってこられてからの料理はどうでしたか?
 いろいろな方のお陰で「コート・ドール」がオープンして、今まで何とかやってきています。ありがたいことですよ。
 僕にとっては料理とは言葉なんです。そうして、僕にとって言葉は食料なんです。いろいろな方々、他業種の人や、年輩の人、若い人、そのような多くの人々から栄養としていただいた言葉。加えて、朝届いた食材を見て、目を閉じると、それらが語りかけてくる言葉。それらの言葉を僕が食べて、咀嚼して、食材に還元して皿に盛って、お客さまにお出しする。そうすると、皿の上の料理が僕に替わって、お客さまに雄弁に語ってくれる。
 心象風景というか、幼い頃に遠足に行ったり、友達と遊んだり、芋をかっぱらって逃げ回ったり、なんかそんな思い出の数々が僕に語りかけてきて、料理の発想の原点になっているような気もします。新しい料理のことはいつも考えていますね。散歩している時、たまに家でテレビを見ている時、日頃何かを見て、日頃何かをしていても、常に別なことに置き換えているような気がします。ですから、散歩は僕にとってはジャッキですね。いろいろなアイデアを湧き出させてくれます。アメーバのようなものが頭の中に浮遊していて、ある時パッと形になるんです。
 料理は常に変化しています。季節も変われば、お客さまも変わる。自分自身も変わりますよね、生身の人間ですから。特にフランス料理だという頓着はあまりありません。「美味しければいいんじゃないの?」というのが僕の料理です。新しいメニューを考えて、完成させるまでは固執していますが、完成したとたんに頭から離れていきます。ですからレパートリーはあまりないんです(笑)。時にチームメイトが作っている料理を見て感心していると、「これシェフに教わった料理ですよ」なんて言われたりする。自分のレパートリーに固執しすぎると淀んでしまうんじゃないですかね。

「十皿の料理」「メニューは僕の誇りです-La Cuisine,C'est toute ma Vie.」の2冊の本を書かれたのは?また、本の中では「技術は教えられない」と書いていらっしゃいますが……。
 料理を作る人の体温はこれくらいだということを、知って欲しかったんですね。「この世界は絵空事ではなく、無様でみっともないものですよ。料理とはきれいごとではなく、もっと生々しいものですよ」ということを、書きたかったんです。
 僕自身不器用ですから、人に何かを教えたり、うまく説明することが苦手です。ですから、技術はなかなか上手に教えられないのですが、僕自身の生活態度や料理に対する姿勢は、じっくり見て欲しいと思います。
 器用な人はある程度伸びても、平均点で止まってしまう。それに引き替え、不器用な人は、常人が思いつかないような奇形のマニュアルというか、既成の概念を打破するような特殊なやり方を編み出すような気がします。不器用がゆえに、足りない部分を補おうと自分で工夫するんじゃないですか。そうしてそれが個性となって光り始める、右へ倣えの迎合するやり方よりも、そのほうがずっと世に打って出られるような気がしますね。
 寝食を共にして、同じ釜の飯を食っていたら別ですけど、今の時代は、なかなかそうはいきません。同じサイクルの受信機を持っていれば受信できるんでしょうけど、全く同じサイクルというのも難しいですよ。けれど、受信できる人は教えなくても、放っておいても受信するんです。
 また、掃除や雑用を嫌がらず、きちんきちんとこなす人の方が伸びるでしょうね。外回りの仕事もきちんとこなせる、核心の仕事もしっかりできる、そのような、ある意味、栄養バランスの取れている人のほうが、始めは荒削りでも徐々に磨かれて、必ずや光り始めます。自分の好きな仕事だけを選ぶ人は、あまり感心しません。

仕事柄、手だけではなく舌も器用ではないといけないんじゃないですか?
 はっきり言って、手より舌が大切です。最初に舌ありきですよ。オリジナルな料理を生み出す人というのは、始めにゴールが見えていて、そこに辿り着く手段として技術があるだけのことです。思いついた時には、すでに料理の7、8割ができあがっているんです。確認の意味で試作するのにすぎないのです。
 味覚というのはセンスです。酸味と塩味と脂肪分、香料などのバランスが瞬時にパッと組み立てられる人、味をみた時に、瞬時に何が足りないのかということがわかる人がいるんです。組み合わせのバランスを瞬時に判断できる舌、あるいは、そういう生理というものを持ち合わせていないと、この仕事は厳しいでしょうね。

下種の勘繰りかもしれませんが、仕事柄、美味しいものばかり食べていらっしゃると感動が薄れてくるのでは?
 おっしゃるとおり。薄くなってきますよ、感動が。ですから、そういう世界に身を置いていたらダメです。仕事中は別ですけど、プライベートでは味のない世界に身を置いていたいですね。音づくりの人にとって沈黙が大切なように、味づくりの者にとっては無味が重要です。ご飯に豆腐をのせて味わえる幸せを、しっかり持ち続けていたいですね。
 いつの時代も、結局は強くないもの、自然体のものが生き抜けるんです。うますぎるものはダメなんです。高カロリー、高タンパク、高アルコールの中にいると参ってしまいます、生身の人間なんですから。この世界で技術者として卓越することと、自分自身の健康管理は別物です。
 僕自身が、ひとりの傍観者として、お客として感動できる部分も残しておきたいですね。そうしないと感動がなくなってしまいます。抑揚がなくなったら輝きもなくなるんじゃないですか。

これからの展開についてはいかがですか?
 何もないですよ(笑)。今のままでも身に余るほど充分です、夢みたいですよ。まあ動体視力がぶれてきたら身の振り方を考えますけど、それまでは健康体を全うして、現役が終わるまでお店が倒れずに働けることが夢です。
 たとえば、物事の摂理とか、ひいおばあちゃん、おばあちゃんと綿々と受け継がれてきたもの、人間の英知であるおばあちゃんの知恵を、壊すようなことはしたくないです。摂理の中で、身の丈の人生を楽しみたいですね。
 最近になって、なんかやっと、剥き身の斉須政雄になれたような気がします。これ以上の自分は無いと思います。僕自身ただの人ですから。




 最後に2冊目の本に書いていただいた一文を添えておきます。

料理。
それは、地上に多く恵みを
もたらす、大いなる自然に対し
限りない感謝を伝える
言語である。


 斉須さんは『十皿の料理』の中で「一見ありふれたもののようではあるが、いったん口にするとその鋭さに圧倒される。本当にいいものはなんでもないような普通の顔をしていて無駄がない。」と料理について書かれています。
 まさしくこの料理のような人こそが、斉須さんのように思えてなりません。つくづく料理も人となりだと思いました。

参考文献
斉須政雄:十皿の料理。朝日出版社、東京、1992。
斉須政雄:メニューは僕の誇りです ─ La Cuisine,C'est toute ma Vie.新潮社、東京、1998。



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