ものづくり名手名言 歯科技工 第11号 平成12年11月1日発行

第11回 積善
                  Interviewee 堤 嵩詞(歯科技工士)



 堤先生とのお付き合いは、筆者が開業間もない頃に参加させていただいた、深水皓三先生の総義歯の講習会でお会いしたのが始まりです。以後筆者は勝手に師匠と仰ぎ、弟子入りしたつもりでいます。

堤 嵩詞 つつみ たかし
1950年兵庫県生まれ。1968年市立西宮高校卒業後和田精密歯研入社。1973年行岡医学技術専門学校歯科技工科卒業。1996年和田精密歯研退社後、PTD LABO東京開設。1999年PTD LABO芦屋開設。

堤先生の“左手”→


PTD LABO

〒659-0092
芦屋市大原町7-3 西本ビル204


↑義歯作りとはPatient””TEchnician””Dentist”の三人四脚

ラボの壁の随所に先生がお書きになった絵やイラストが飾ってありますが、ひょっとすると、本当は絵の関係のお仕事に進みたかったのでは?
 確かに絵を描くことは好きですが、もし仮に私に絵心があるとしても、所詮落書き程度でしょう。デザイナーとかイラストレーターという職業は、ただ単に絵を描くのが好きだということだけではなく、相当な才能が必要でしょうから、私の場合はあまり考えたことはありませんでしたね。幼い頃、近所に家族ぐるみでお付き合いをしていただいていた歯科医師の方がいらっしゃいまして、その方が、私の作った図画工作などをいくつか見られて、「器用だから歯科技工士になったらどうか」と強く勧めてくれました。当時は中学校卒業時点で歯科技工の道に進むこともできたのですが、高校でフットボールをやっていた兄の影響もあって、高校に進学しました。高校では、フットボールで全国優勝を果たしたことで、大学からの誘いもありましたが、基本的に勉強が嫌いでしたので、先の歯科医師の紹介で和田精密歯研に就職することになりました。もっとも、自分では、ただ流れに身を任せてきただけのような気がしますが(笑)。ただし、高校でフットボールをやったこと、全国優勝でたことからは、“何ごともやればできる”ということを体で学んだように思えますね。

はじめから総義歯のお仕事をされていたのですか?
 和田精密に入社した当初は、金属床部門に配属されました。その後、営業部門、クラウンブリッジ部門、企画部、新素材の研究・開発部門を経て、総義歯に携わるようになりました。社長の和田弘毅氏は常々「十年一仕事」とおっしゃっていましたが、まさしくそう思いますね。総義歯にどっぷり浸かって、かれこれ20年近くになるでしょうか。
 和田精密のなかには、当時まだ本格的に総義歯を手掛ける部門はありませんでしたし、また社内には総義歯の情報の蓄積もありませんでした。そこで、まずは勉強会を開きました。総義歯に関して著名な大学の先生や、高名な臨床家の先生をお呼びしての勉強会でした。1年ほど経つと、ひととおり総義歯全般のことが見えてくるようになります。
 そのようななかで深く感銘を受けたのが、Hans Schleich先生のコースです。先生のコースをトータルで7、8回は受けたでしょうか。その後、スイスのGerber元教授と、教授の片腕だった歯科技工士Max Bosshart氏らとの出会いもあって、現在の形になってきたといえるでしょうね。
 Schleich先生には「あなたの作るデンチャーはスポーツカーみたいだ、切れ味は素晴らしいが、乗りこなすのには少々力がいる」と申しあげたことがあります。その点、Gerber元教授のゲルバーシステムは、咬合器の構造や人工歯の形を見ても、日本人に合っているように思えるのです。

総義歯に関するシステムのみならず、義歯製作用ツールもいろいろと作っておられますね。
 ツールや規格というものは、仕事をよりシステマチックにするためには不可欠な要素です。そもそも、規格や定規というものは、人類がより便利さを求めたために、必要性を感じて作ってきたものだと思います。
 何事にもオープンな和田精密という会社のなかにいたこともあって、自分が得たものを、いかにきちんとした形でわかりやすく人に伝えるか。その結果が、パイロットデンチャーシステムや、いろいろなツールの製作につながったと思います。
 義歯のみならず、歯科技工とは“目で見て手で作る”.当たり前のことですけれど、“目で見て手で作る”。そうして作ったものを“目で見て評価する”.100個、1,000個、10,000個の義歯のデータを分析して、平均値、偏差値を出す。そうすると排列位置のゾーンとか、いろいろな数値が出てきます。“目で見て手で作る”、“作ったものを目で見て評価する”、これらの作業を補足するのがツールであり、規格化であるわけです。もし、一人でラボをやっていたら、個人のスキル(技能的感覚)の追求のみ、こういうことはしていなかったかもしれませんね。

はたで見ていると、いつもスマートに仕事をされているように見えるのですが、器用になるための訓練のようなことをされているのですか?
 器用・不器用というのは、耳にした話によるとDNAが関与するらしいですから、生まれながらにして、ある程度はその人なりに決まっているものといえるのかもしれません。しかし、生まれてから今までに、どのようなものを見て、どのようなことをしてきたのかという“経験”と、ものを見極める“観察力”はとても重要です。技術力とは観察力です。いかに見抜くとでもいいましょうか、見極めることのできる観察力を身につけていることは重要なことです。
 解剖学者の養老孟司さんが何かの本に書いておられたのですが、その昔、頭蓋骨の絵といえば海賊のドクロのマークのような、いわば子供が描いたような幼稚な絵でした。ある時、誰かがとても写実的な頭蓋骨を描いたとします。するとその後は、その絵をまねて、皆そのような写実的な絵を描くことができる。頭蓋骨そのものは、昔も今も同じです、違うのは見方、描き方、表現の技法です。目の前にあるものは同じでも、見えていなかった、見抜いていなかったということです。
 先程も申し上げましたように、“目で見て手で作る”わけですから、いかによいものを見て、そのよいものから得たものを、いかにこつこつと積み重ねるかということでしょう。「積善」という言葉があります。「せきぜん」と読みます。静岡のお坊さんの義歯のお手伝いをした時にいただいた言葉です。自分なりに「善いことを積み重ねる、善いものを積み重ねる」と理解しています。まさしく私たちの仕事は、これじゃないでしょうか。よいものを見る、一言で言うならば、天然歯を教科書として、しっかりとしたよいものを一つでも多く見て、何かしらつかみ取る。その積み重ねでしょうね。

講習会などでは、その歯科医師の個性を生かした技工をされているように思えるのですが。
 この仕事は共同作業ですから、組んだ相手の方に合わせることは技術者としての務めだと思います。ニーズがあるから技術もあるわけで、そのニーズに応える形で技工をしているだけです。
 話は飛びますが、ひと頃“言葉のスケッチ”に凝ったことがあります。本を読んでいたり、話を聞いていて、好きな言葉に出逢ったら、スケッチするかのようにメモをする。前後の脈絡は省いて、その言葉だけを書き留める。言葉に出逢うとか、心に残るというのは、こちらにそれなりに思いがあるから感じるわけで、思いがなければ聞き逃しますし、見逃しますよね。言葉のスケッチがスケッチブックいっぱいになったら、いろんな場面においてピタッとあった言葉を引き出せるものです。同じように、技術の引出しが数多くあればあるほど、相手の方のニーズに合わせることができるのではないでしょうか。
 歯科技工というものが、歯科医師と歯科技工士の共同作業である以上、自分自身が楽しく仕事をするためには、自他共栄でないと楽しめません。加えてチームプレー的な要素も十二分にありますから、楽しく仕事をしようと思えば、同じように楽しく仕事をする相手と組むほうがやりやすいに決まっています。ある程度は、楽しく仕事をできる相手を自分から捜すことも必要だと思いますよ。あるレベルまでいくと、あとは好循環になりますから。

総義歯は真っ白なキャンバスだとおっしゃいますが、真っ白いだけに難しいのでは?
 ラボをご覧になっておわかりのように、ほとんどが総義歯の症例です。真っ白なキャンバスですから自由度も広く、難しくもありますけど、やはり面白いですね。
 口腔の失われた形を復元することで機能を回復させるのが、歯科の重要な務めの一つです。復元・回復することは、あたかも考古学者が、発見されたひとつひとつの破片から、その全体像を復元していく、想像していくような喜びがあります。確かに経験が少ないと、なかなかその全体像が想像できずに難しい仕事となります。しかし、ある程度経験を積んでくると、難しさも楽しさになります。難症例になると的が絞りきれないので、一つの模型で、最初から二つ三つと排列を変えたものを提供することもあります。歯科技工においては、こういう想像力や造形力が必要不可欠なものだと思います。

PTD LABOに込めた思いをお聞かせ下さい。
 義歯作りとはP=patient(患者)、T=technician(歯科技工士)、D=dentist(歯科医師)という、三者による三人四脚です。勉強会のメンバーの先生が名付けられたと記憶しています。
 天然歯が教科書ですけれど、同じように患者さんの声も教科書です。メーカーにとって最終ユーザーの声を聞くことは、重要でかつ非常に有益です。まずは、患者さんが何を望み、歯科医師がどのように診断するか、それらを受けて歯科医師や歯科技工士がどこまで作るか。最近では、技工指示書に、その患者さんの主訴や、希望も添付してもらうようにしています。人工歯、特に臼歯部の選択においても、その人が何を食べたいかによっても違ってくると思います。義歯を通して、どれだけ患者さんの健康に寄与できるかということです。たとえば、パイロットデンチャーシステムの場合、治療過程のなかで、患者さんのご希望や歯科医師の診断内容を、足したり引いたりしながら織り込んでいくことができます。すべてを含んだ意味での“合ったもの”を作っていくことができればと思いますね。


↑経験と観察力が技術を育てる



マラソンにたとえたら、今何km地点を走っていますか?また、今後の夢は?
 マラソンを走ったことがないので、何km地点とはいえません。マラソンは42.195kmと決まっていますが、人生はある意味ではエンドレス、いつがゴールかはわかりません。終わった時がゴールですよ。
 若い人には「目標をもて。そしてその目標をきちんと絵に描け、文字に書け」と言うのですが、私に関しては今まで同様、目標はなく、ただだらだらと行くだけです(笑)。もう少し、ゆっくり仕事をしたいとも思うのですが、何せ仕事が面白いものですから、結局はあれもこれもと取り込んでしまいバタバタとなってしまうんです。
 可能であれば、もっと大きな空間で仕事をしたいですね。たとえば、天井までの高さが6メートルくらいあるようなラボとか・・・。
 今までは、ニーズに応える形で仕事をしてきました。壁にぶつかっても、その場その場では、フットボールのように作戦を立て、ゲーム感覚で問題をクリアしてきました。これからの十年は“楽しむものづくり”ではなく、“追究するものづくり”をしようと思います。経験的にわかっていること、知っていることの理由を、明確にしていきたい気もします。


 「ものづくり名手名言」の取材も、今回で11人目でした。タイトルにかけて、毎回、その方の手の写真も撮らせていただくのですが、今回堤先生が、初めて左手を出されました。「左利きというわけでもないでしょうに」と聞くと、「もちろん右利きです。右手にはインスツルメントなどを持ちます、しかし、本当に微妙な右手の動きを可能にするのは、左手のサポートがあってのことのような気がするのです」とのお返事。それを聞いたとき、何かしらそこに、堤先生の技の奥義を垣間見たような気がしました。
 常に飄々と肩の力が抜けていて、なおかつ、柔かな物腰。右利きでありながら、左手の存在を見抜いている。このような人に出会えたことに、あらためて感謝した一日でした。

参考文献
堤嵩詞:Case Album あの頃。歯科技工、28(3):279〜286、2000。



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