この道に入られたきっかけは?
振り返って考えてみると、この仕事には縁があったのかもしれませんね。
高校卒業後、大学に進み経営の勉強をしていました。そんな時に突然の失恋。前日に電話をして、その人と待ち合わせしていたんですけれど、待てど暮せど来ない、結局その日から数年間は音信不通でした。
そんなとき、兄が美容学校を出てロンドンに半年くらい行っていて久しぶりに日本に帰って来ました。当時のロンドンはビートルズ解散後でパンクロックがはやる前、グラムロック全盛でデビッド・ボウイやロンドンブーツがはやっていた頃です。その兄の勧めで大学に在籍しながら美容学校を卒業しました。
二十数年この仕事をやってこられてどうですか?
私自身40歳を過ぎてから、何か肩の力が抜けてきたというか、気負いがなくなってきましたね。特に同じお客さんの髪を長年切っているとそう感じます。ヒトの顔自身が次第に味のある顔になってくるように、髪を切っていて私自身が自然体になってきたように思えます。
この仕事はいかにお客さんの波長をつかむかとか、いかに時代の気分を捉えるかとかが重要ですけれど、何と言ってもまずは技術です。技術がないと話になりません。最近になってやっと自分の技術・デザインとお客さんの波長、時代の気分とが合うようになってきました。結局カットというのは、カットするほうの人となりなのでしょうか。
美術科卒業であったり、お店の中にはいつも大きな花器に花が生けてありますが、幼い頃から美的なものには関心があったのですか?
表現するしないは別として、美しいものや美しさに感動した心を書き留めたいと言う気持ちは常にありましたね。
華に関しては今も門下生なんです。店を始めた頃、知り合いに生けてもらっていて、次にその人のお華の先生に生けてもらうようになったんです。そのうち、せっかくだからみんなで習おうということになったんです。
美とか技術とかは、いくら教えようとしても、教わるほうの気持ちがついてこなければ絶対身につかないでしょう。逆に教えて欲しい、習いたいと思う気持ちがあれば、たとえ対象が何であっても学ぶところがあるし、異なる分野の人であっても先生になると思うんです。
あるとき、若いドラマーの話を聞いたんです。その話の中で彼女が言うんです。「自分がこうしたいと思った時、それを妨げるものは何もない。これをやりたいと思った時、邪魔するものは何もない」と。まさしく技術の修得もそうですよね。
いつも良い音楽が流れていますね。
確かにBGMには気を使っています。しかし、さっき言った波長じゃないですけど、あるお客さんには心地良い音楽でも、別のお客さんにはうるさいかも知れない。また、お客さんには受けても仕事場の音楽として合わないこともあるので難しいですね。
たとえば、ヨーヨー・マのチェロは聞いていて良い音楽だと思うんですけど、この仕事はリズムが大切です。ある程度のスピードがないとダメなんです。ヨーヨー・マではハサミは進まない。ハサミがのるリズムっていうのがあるんです。
はっきり言って、この仕事はいかに良い仕事を短時間で仕上げるか、時間はかなり重要なポイントだと思います。考え方はいろいろありますけれど、今の時代の気分としては、同じ技術であれば短時間で仕上げた方が上手いと評価されるんじゃないでしょうか。
仕事柄、たとえば“茶髪”のような時代の流れに、かなり敏感じゃないといけないような気がしますが?
もう“茶髪”は死語ですね。それほど時代の流れは加速しています。かといって、時代の流れが美容師の先をいっているともいえません。
美容の世界にもいろいろ技術的に日進月歩はありますが、やはり、時代の気分を無視できません。たとえば、その人の髪のデザインを考えるとき、色は不可欠な要素です。しかし、髪の毛の色は、その人の仕事とか職場の雰囲気とかがかなり関わってきます。だから、本人は色を変えたいけど躊躇してしまう。そういう意味では、いままで戦後を引きずってきたのが、最近になってやっと解き放たれましたね。
色に関してつけ加えるならば、髪は立体なんです。立体の凹凸はその色が薄ければ薄いほどよくわかりますし、はっきり見えます。ですから、黒髪だとカットそのものが見えにくいわけです。さらに、カットだけでボリュームを軽くしようとしても限界があります。
最近感じるんですけれど、いまの消費の中心は団塊の世代の人々のような気がします。50歳過ぎの人たちは、個がはっきりしています。長いのが流行とか短いのが流行とかいうことは、彼らにはないですね。いかに自分の個を自分なりに表現するかがポイントのようです。
日頃から何かセンスを磨くようなことをされているのですか?
旅なんか非常にいいと思います。自分自身を非日常の中においてみるという意味で。
仕事中、正面の鏡ばかり見すぎてしまうことがあります。客観的に別方向から見るということを忘れているんですね。やはり立体ですからいろいろな方向から見ないとダメです。
たびたび旅行には行けませんから、映画を積極的に見るようにも心がけています。美に対する感性やセンスは仕事を離れないと見えてこないのではないでしょうか。そういう意味では、同じハサミを手にしていても、カットと華とは大違い、いい勉強になります。
いつも新人の方が何名かいらっしゃいますが、若手の教育はどのようになさっていますか?お金を払ってまで教えなければならないのかとも思いますが・・・?
そうですね。それは一般論から言えば、まあ自分もそうやって教わってきたといことでしょうか。オーナーでなくても、先輩が何かしら時間を作っては教えてくれましたよ。
以前は年間プログラムを組んで、何月までにはここまでといったカリキュラムを作成していましたが、いまはやっていません。うちのような小さな店だと、日常の仕事のなかで指導することが結構たくさんあります。ある程度出来るようになったら、ウイッグ(マネキンのような模型)を使ってカットさせ、次に身内や友達を連れてこさせてカットさせる。それからやっとお客さんですね。
当然、覚えるスピードにも人それぞれ個人差がありますから、私から見ていついつどの時点で一人前になったという判断はしにくいですね。ただ、皆さんそれぞれに支えてくれる人がいますから、そのような支えの中で一人立ちしていきますね。そういう意味では人とのつながりって大切ですし、この仕事をやっていて面白いところですね。
当然一人立ちするには技術が必要です。美容で言う技術とは接客から気遣い、テクニック、スピード、デザインする力など、すべてを含んでの技術です。ですから、一人立ちイコール、ライバルが増えるとは言えませんね、今のところは。
一時期、同業者への啓蒙活動にかなり力を注がれたとか。
はっきりいって嫌がられましたよ。まるで、選挙に行かない人の家々を訪問して「選挙に行きましょう」といってまわるようなものですから。
もちろん技術は大切ですけど、技術力アップ以外でこの業界を良くすること、この業界の心を豊かにすることはないのかなと思ったんです。荒れ地に木を一本一本植えましょうというような、宗教に近いものがあったのかもしれません。しかし、こういうことこそ必要であって、誰かがしないとダメなんですよ。
はじめは同業の友人とどうしたら店の売り上げを伸ばせるかということを、延々と論じていたんです。いろいろな場面やシステムを想定してシミユレーションをしてみました。結局得られた私なりの結論が啓蒙活動だったんです。
この仕事、特にオーナーになるとやはり御山の大将で、経営がうまくいっていてさらに時代の波に乗ったりすると、それはもう高慢になるんですよ。
“カリスマ美容師”に象徴されるように、マスコミによって良いも悪いも何とでもイメージがつくられますよね。なんといわれようが、まだオーナーはいいんです、社会的にも認知されていますから。しかし、見習いで頑張っている若い人が社会的に軽く見られるのは困ります。頑張っている立派な若い人もたくさんいるんです。
今後、美容の需要は変わっていくと思いますか?
あまり需要は変化しないでしょうね。減らないといえるでしょう。先ほど言った団塊の世代に象徴されるように、今の時代の気分はいかに個を表現するかです。個を表現、主張するために、ありきたりのもの、大量生産のものではなく、椅子にしても器にしてもこの世にひとつしかないものが求められる時代ですよ、これからは。
また医療と違って先手必勝ではないですね。あくまでも時代の流れ、時代の気分にそったものが美容です。そういう意味では今後大きく変わることもなければ、変えようという気もないですね。気がついたら次の世代にバトンタッチしているんじゃないですかね。
SASSO(サッソ)とはイタリア語で“路傍の石”という意味だそうです。しかしこのSASSO、表向きは石ころにしか見えなくても、それはホンの一部で、実は氷山の一角であるような気がしました。
加えて、失恋して髪を切ったという話は聞いたことがありましたが、失恋して髪を切る人(美容師)になったという話は初めてでした。
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