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ハイク・イント
●松尾芭蕉
江戸中期の俳人。伊賀上野に生れる。「野ざらし紀行」「笈の小文」「奥の細道」など。1644〜1694
●韓愈(かんゆ)
唐の文章家・詩人。柳宗元とともに古文の復興を唱え、韓柳と並称される。768〜824
●海苔
紅藻または緑藻などのうち、水中の岩石に着生し、苔(こけ)状をなすものの総称。近世以降、ひびを用いて養殖。アサクサノリなどを漉きかわかした乾海苔(ほしのり)。火にあぶって食する。

2003.April
衰ひや歯に喰あてし海苔の砂
松尾 芭蕉 [俳人 1644-1694]


 この句の解説文には「季語は海苔で春。人間の衰えの兆しは、まず歯に来ると昔から言われてきた。(中略)元禄四年(1691)の作句だから、芭蕉は四十八歳だったことになる。当時の海苔には砂混じりのもの多かったはずだから、老若に関係なく「喰あてる」ことは普通のことだったろう。が、年を取るとジャリッと噛み当てたときの感触が違うのだ。(中略)べつに芭蕉に言われなくても、年老いてくると、誰もが歯の一瞬の感覚で衰えを感じているはずだ。」(「増殖する俳句歳時記」より)
 読者の皆さんは、もうおわかりでしょう。シソーノーローのことですね。人体の老化とシソーノーローとは、別々のことですけど、昔は同じように考えられていたようです。さらに時代はさかのぼり、唐の詩人、韓愈(かんゆ)は、落齒(らくし)という詩を803年、作者三十六歳の時に書いています。「去年落一牙 今年落一齒」(去年は奥歯が一本抜け、今年は前歯が一本抜けた)で始まる180字にも及ぶ長編詩です。最後は、歯が抜けたら抜けたで、別の楽しみもあると、ひらきなおっています。
 このように、昔から年を取るというここと歯は、密接な関係にあったようです。漢和辞典には「歯-よわい。とし。としかさ。」とあり、歯は、元々よわいとも読むようです。「齢-としを意味とする歯と音符令とから成る。レイは年経るを意味する語源(歴)からきている」。本来、歯一字で年齢の意味があったのですね。
 やはり海苔について話しておきましょう。日本では、太古の昔から食べられていたそうで、平安時代には、貴族の御馳走として珍重されていたようです。海苔が庶民の食べ物になったのは、江戸時代で、徳川家康のおかげとも言われています。ものの本には「魚が好きだった家康のために、料理長は生簀を江戸前の海に準備しておいた。そこに自然発生的に海苔が増殖した。それを食べた家康が珍味な海苔のとりことなり、年貢として大量の海苔を献上するように命じたのだ」。
 その後、江戸中期になって、海苔巻き屋台が出回り、庶民のファストフードとして食されるようになったそうです。次のような話も聞いたことがあります。「もともと永谷園はお茶屋さんであった。お茶の仕事は春から夏で終わる。しかし、従業員をそのあとに辞めさせるわけにはいかない。そこで、秋から冬の仕事である海苔の養殖を始めた。お茶を作るときに出る、商品にならないお茶と、同じく商品にならない海苔のくずで、海苔茶漬けをつくった」。文献などの資料で確認はできませんでしたが、真実味のあるお話です。

参考文献
1. 清水哲男.増殖する俳句歳時記
2. 松枝茂夫編.中国名詩選下.岩波文庫,1991
3. 熊谷真菜,日本ふりかけ懇話会.ふりかけ日本の食と思想.東京:学陽書房,2001.
4. 貝塚茂樹編,藤野岩友,小野忍編.角川漢和中辞典.東京: 角川書店,1970.
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